バラ、特にオールドローズが好きで名前の由来や育種の経緯などを調べています。
宿根草や葉色が美しい草花や灌木などをアレンジしたバラ咲く庭を愛でるのも長年の夢です。

アンファン・ド・フランス(Enfant de France)

Enfant de France

どんなバラ?

11㎝から13㎝径、花弁が密集したロゼッタ咲きまたはクォーター咲き、カップ型の花形となります。
ライト・ピンクの花色、花弁の縁はわずかに色抜けするため、花色に陰影ができ、非常に優雅です。
強く香ります。
150cmから210cm高さ、全体的にこんもりとしたブッシュ樹形となります。自然樹形を生かすか、また、ピラー仕立てにも向いた樹形です。

品種名の由来など

1860年、フランスのクレメンス・ラルテにより育種・公表されました。交配親はわかっておりません。
アンファン・ド・フランス(フランスの息子)とは、ナポレオン3世の息子、ウジェーヌ・ルイ・ジャン・ジョゼフ・ボナパルト/Eugène Louis Jean Joseph Bonaparte(1858-1879)の愛称です。

Napoléon, Prince Imperial,
‘Napoléon, Prince Imperial’ Photo/André Adolphe Eugène Disdéri, c. 1859-1863 [Public Domain via Wikimedia Commons]


3世夫妻は子宝にめぐまれずにいましたが、ようやく男子を得て国をあげてのよろこびとなりました。それが”フランスの息子”と呼ばれるゆえんです。
1870年、第2帝政の崩壊の際、父であるナポレオン3世、母ウジェニーとともに英国へ亡命しまた。
英国王室の保護のもと成長し、長じてから兵学校へ入学。卒業後、アフリカで勃発したズール戦争に従軍し、戦死しました。21歳の若さでした。

'Eugène-Louis-Napoléon, Prince Imperial of France '
‘Eugène-Louis-Napoléon, Prince Imperial of France ‘ Painting/Robert Antoine Müller, 1879 [Public Domain via Wikimedia Commons]


フランス共和政の許で、なお、帝政への回帰をめざしていたボナパルティストたちにとっては、ナポレオンの嫡流が絶えてしまったことを意味し、深い失望を与えました。
実はナポレオン・ボナパルトの嫡子であったナポレオン2世が誕生した際にも、後継ぎの誕生を記念した”アンファン・ド・フランス”というバラ(アルバ、ガリカなど)があり、混乱が生じがちです。
このアンファン・ド・フランスが一番流通しているのですが、品種を特定するには、

1860年、Lartay作出のハイブリッド・パーペチュアルのアンファン・ド・フランス

というふうに、常にコメント付きで述べる必要があります。