バラの育種はハイブリッド・パーペチュアルが主流に
19世紀に入ると、ジャン・ラッフェイ(Jean Laffay)やフランソワ・ラシャルム(François Lacharme)などの当時の先進的な育種家たちは返り咲きする大輪花種の育種に熱心に取り組むようになりました。
その成果は後にハイブリッド・パーペチュアル(HP;Hybird Perpetual)という新しいクラスの誕生へとつながってゆきます。
一方、ダマスクは返り咲き種(パーペチュアル)を生み出すにまでたどり着きましたが、”返り咲きする大輪花”という同じカテゴリーであるHPとの境界が曖昧になってしまい、やがてHPというより大きなカテゴリーに飲み込まれ、独自のクラスとしてのダマスク・パーペチュアルは役目を終えることとなりました。
1850年代~を彩ったHP
1850年代以降に公表され今日でも深く愛されているHPをいくつかご紹介しましましょう。
- ジェネラル・ジャックミノ(Général Jacqueminot)by Roussel – 1853年
- アンナ・フォン・ディーズバッハ(Anna von Diesbach)by François Lacharme, – 1858年
- レーヌ・デ・ヴィオレット(Reine des Violettes)by Mille-Mallet- 1860年
- ブール・ド・ネージュ(Boule de Neige)by François Lacharme- 1867年




終わりは常に美しい
1800年代後半になると、HPの育種・公表が主流となりダマスク・パーペチュアルあるいはポートランドとしての新品種の公表はほとんどなくなってしまいました。
しかし、バラの育種史を追ってきて、いつでも感じることがあります。クラスの終わりは常に美しいということです。
終わりを告げる美しい品種について、由来やクラス分けについての数々の疑問とともにご紹介したいと思います。
人気品種の由来についての疑問
終焉をむかえたダマスク・パーペチュアルですが、終わりを告げる美しいふたつの品種があります。コント・ド・シャンボールとジャック・カティエです。
ところが、ふたつの品種とも、取り違え、品種名のすり替わり、別名あるいは同名異種への疑問が生じています。さらにクラス分けに関しての疑問の提示など、育種された経緯や由来までにも様々な説が出てきています。まずはコント・ド・シャンボールについての混乱から。
謎だらけのコント・ド・シャンボール
コント・ド・シャンボール(Comte de Chambord) – 1858年以前、返り咲き

1858年以前に、フランスのロベール・エ・モロー(Robert et Moreau)により育種されたとされているのが通説です。
このコント・ド・シャンボールに酷似している、いや、おそらく同じ品種だと言われる品種がふたつあります。
アメリカのダニエル・ボール(Daniel Boll)が1859年に育種し、夫人に捧げとされるマダム・ボール(Mme. Boll)とマダム・クノール(Mme. Knorr)です。


まだ結論には達していませんが、今日では、19世紀に公表されたHPのマダム・ボールが本来の品種名であり、20世紀になってダマスク・パーペチュアルのコント・ド・シャンボールという新名称で流通するようになったと解釈するのが主流になっているようです。
ジャック・カルティエと取り違え説
ジャック・カルティエ(Jacques Cartier) – 1868年、返り咲き

ダマスク・パーペチュアルのなかで、コート・ド・シャンボール(Comte de Chambord)ともに、もっとも美しいダマスク・パーペチュアルと評価される品種です。
1868年、ロベール・エ・モローの後継者であるモロー=ロベール(Moreau-Robert)により公表されました。
交配親は不明のままです。
ジャック・カルティエ(Jacques Cartier:1491-1557)は16世紀に活躍したフランスの航海家です。北米大陸のセント・ローレンス河流域を中心とした3度にわたる航海・探検で知られています。今日国名となった”Canada”は、カルティエが先住民の居住地をさして用いていた単語だと言われています。
この品種についても以前より取り違え疑惑がささやかれていました。
1868年にフランスのモロー=ロベール氏により公表されたジャック・カルティエはすでに失われてしまい、現在流通している品種は、マルキーサ・ボッセラ(Marchesa Boccella)そのものだろうという主張です。
下の画像は’マルキーサ・ボッセラ’という品種名で流通しているものです。

マルキーサ・ボッセラは1842年にジャン・デスプレ(Jean Desprez)により公表されたHPです。ダマスク・パーペチュアルではありません。
グラハム・トーマスは異論を承知していながら、ダマスクに似た花形、花色、香り、明るいつや消し葉などの特徴から「わたしはジャック・カルティエが正しい名前ではないかと確信したい…」と希望的な感想を述べています。(”Graham Thomas Rose Book”)
コント・ド・シャンボールの品種名疑惑とあわせ、クラスを代表する二つの品種がじつはダマスク・パーペチュアルではなく、HPだとしたら、クラスを代表する2品種の帰属によってはクラスの存在そのものが危ういものになってしまうかもしれません。トーマス氏の述懐に深く共鳴します。
マリー・ド・サン・ジャン(Marie de St. Jean)
今度はHPからダマスク・パーペチュアルへクラス変更された品種です。

つぼみに濃いピンクが出て、開花してもそのまま残ったり、あるいは全体に淡くピンクとなったり、また、純白になったりと、花色に変化があります。
フランスのフレデリック・ダメツィン(Frédéric Damaizin)が1869年に公表した品種です。ダメツィン自身はHPと判断したようですが、アメリカのフィリップ・ロビンソン氏(Phillip Robinson)などがダマスク・パーペチャルとするのが適切だろうと評しています。確かに、明るいつや消し葉、株肌に生じる大小のトゲ、開き気味の花形などは、ダマスク・パーペチュアルに特徴的なものです。
紅に染まっていた蕾は開花すると色残りをしたり、あるいは脱色して純白になったりします。ダマスク・パーペチュアルの終わりを告げるほんとうに美しいはなです。
1869年、このマリー・ド・サンジャンが公表された年にダマスク・パーペチュアルの終わりを告げたと言ってと思います。
ロズ・ド・レシュ(Rose de Rescht)

この品種はイギリスの、ナンシー・リンゼー(Nancy Lindsay)によって、ペルシャの古い都市レシュ(現在はイラン)の庭園で収集したとし、ロズ・ ド・レシュ(レシュのバラ)と命名のうえ、1940年に公表されました。
レシュ(ラシュト;Rasht)はイランの首都テヘランから北西に200kmほど、カスピ海に面する都市です。温暖な気候からイラン国内ではリゾート地となっているようです。
しかし、不可解なことがあります。グラハム・トーマスは、この品種について、
「…多分、ダマスクに入れるべきだろう…ブレンド・ディカーソンが1989年の『ガーデン・ジャーナル』で提言したとおり、これが本来のロズ・ド・ロワなのではないかと思われる」とコメントするだけで、彼の著作のなかでは、ひとつの品種として独立した項を設けていないのです。
また、アメリカのポール・バーデンは近年公表した記述の中で、この品種は1920年にはアメリカで育成されていたことが確認されたこと、また、1912年に出版されたエレン・ウィルモットの著作のなかで、ペルシャにGul e Reschti (”Rose de Resht”)が存在すると記述されていることを指摘しています。この品種がヨーロッパに紹介されたのはナンシーが市場に提供する以前であったことは事実のようです。
卵型のかたちよい葉。深い色合いの花。華やかな、しかし、静かな気品に満ちた品種です。どんな経緯があるにせよ、この品種を再び世に紹介したナンシーに感謝するべきでしょう。