バラ、特にオールドローズが好きで名前の由来や育種の経緯などを調べています。
宿根草や葉色が美しい草花や灌木などをアレンジしたバラ咲く庭を愛でるのも長年の夢です。

ベル・サン・フラットリー(Belle sans flatterie)

ベル・サン・フラットリ―(Belle sans flatterie)

どんなバラ?

40弁を超えるロゼッタ咲き。しばしば花芯に緑芽が形成されます。
花色としてのカテゴリーとしてはモーヴ(藤色)とするのが適切だと思います。花芯は明るいライラック、外弁はうす紅色に色抜けします。
強い香り。
深い色合いのつや消し葉、120㎝から150㎝高さほどのシュラブ。

春一季咲きのガリカにクラス分けされていますが、色合いが薄いのでガリカのアガタ(Agatha)グループのひとつとされることもあります。

育種者、育種年など

現在、受け入れられている解釈
1798年以前、ドイツのシュヴァルツコフ(Daniel August Schwarzkopf)により育種されました。交配親の詳細は知られていません。
DNA検査の結果、ガリカ・オフィキナリス(アポシカリー・ローズ)との類似が著しいことが判明しました。花形、花色の違いは著しいですが、葉や樹形が類似しているのかもしれません。
ベル・サン・フラットリーとは「文句のつけようのない美しさ」という意味ですが、19世紀の初め、フランスで紹介されると、この品種は驚きをもって迎えられました。
この完成された美しい品種が18世紀の終わりころにすでに作出されていたことは、ほんとうに驚きです。バラの育種史をたどってゆくと、しばしば感じることは、

「最初に完成された品種が世に出ると、すぐに追随する品種が登場するものの、最初の完成形に追いつくのには数十年を要する」ということです。

それ故でしょう、研究者のなかにはこの信じかねる事実に違う解釈を加えています。

かつての解説の一部

オランダ由来。別名’皇后’ジョゼフィーヌ(Joséphine Impératrice)’、ヴィクトール・ ジラルドン(Victor Girardon)の育種による。1852年から1860年にかけてのリュクサンブール公園のバラリストに含まれていた。
(Francois Joyaux “La Rose de France”, 1998)

1820年、フランスのジャン=フランソワ・ゴドフロワ(Jean-François Godefroy)が育種。19世紀初頭、とても人気があった…
この品種はまれに返り咲きすることが知られていて、(返り咲きする他のクラスとの)交配種であることを暗示している。
(Suzanne Verrier “Rosa Gallica”, 1995)

現在説の根拠

1783年に刊行された『Verzeichnis des Landschaftsparks von Schönbusch(ショーンブッシュ公園における植栽リスト)』の中に庭園丁であったクリスチャン・フランツ・ボード(Christian Franz Bode)」が作成したバラ・リストがあるが、その中にシュワツコフが育種したと思われるものが数多く含まれている。
ベル・サン・フラットリーはそのうちのひとつである。

1815年、ボタニカル・アーティストであるサルモン・ピナス(Salomon Pinhas)はバラのイラスト集『Rosen-Sammlung zu Wilhelmshöhe(ヴィルヘルムショーンにのバラコレクション)』にベル・サン・フラットリーを掲載している。

Verzeichnis des Landschaftsparks von Schönbusch, 1783
Belle sans flatterie_1783
Rosen-Sammlung zu Wilhelmshöhe, 1815