センペルヴィレンス(Rosa sempervirens)
ロサ・センペルヴィレンスはポルトガル、スペイン、北アフリカなどの地中海地域、中東のトルコなど、乾燥気味で温暖な地域に自生しています。すこし尖りきみの濃い葉色、白花、500㎝に達するランブラーです。
数多くはないのですが、白あるいは淡いピンクに花開く美しいランブラーの交配親となりました。

3cm径前後、シングル咲き、浅いカップ型の花となります。花数は多いものの房咲きとなるより株全体に飾り付けたように間隔を置いて開花するといった印象を受けます。
フック気味の赤みを帯びた鋭いトゲ。細い枝ぶりですが旺盛に枝を伸ばし、350cmから500cm高さのランブラーとなります。
品種名等の由来
分類学の父カール・リンネ(Carl von Linné)が1753年に発刊した『植物の種/Species plantarum』の中で記述されたのが学術上の最初の公表となりました。センペルヴィレンスとは“常緑の”という意味のラテン語。そのため英語圏ではエバー・グリーン・ローズ(Evergreen Rose)と呼ばれることもあります。
アントワーヌ・ジャック~センペルヴィレンス系ランブラーの先駆者
アントワーヌ・ジャック(Henri-Anoine A. Jacques)は1782年、パリ東部郊外のシェル(Chelles)で庭師の息子として生まれました。当時フランスはナポレオンが欧州各国との総力戦に明け暮れる時代でした。ジャックは20歳で兵役に就き、除隊後はヴェルサイユ宮殿のトリアノンで庭師見習いとして働きました。
1818年、ジャックは、当時オルレアン公爵であったルイ=フィリップの所有する城館のひとつヌイイ館(Chateau de Neuilly)の庭園管理にたずさわるようになりました。

庭園管理のかたわら、ジャックはセンペルヴィレンスを交配親としたランブラーの育種にはげみ、ランブラー育種の先駆者として名を残すこととなりました。
ジャックは育種した多くの品種を雇用主であったオルレアン公ルイ=フィリップ一家に捧げています。
ルイ=フィリップ、オルレアン公からフランス王へ

1830年、フランスはシャルル10世が退位し、ルイ=フィリップが共和主義議員達に推されて「市民の王」となります。7月に勃発した政争でしたので、後の時代「七月革命」と呼ばれることになりました。
王位についたルイ=フィリップでしたが、幼年期に啓蒙思想の教育を受けたとはいえ、王家の誉れには抗しがたく次第に専制色を強めてゆきました。
1848年、市民の不満は暴動と化しフランスは王制から共和制へと移行することとなりました。フランス王ルイ=フィリッ一世は英国へ亡命。ヌイイ館も共和派により破壊されました。
ジャックはこの混乱下、バラ育種家で甥にあたるヴィクトール・ヴェルディエ(Philippe Victor Verdier :1803-1878)の元に身を寄せ、園芸についての論評を重ねるなど活動をつづけましたが、1866年、84歳で死去しました。
現在まで伝えられているセンペルヴィレンス・ランブラーについていくつかご紹介します。
アデライド・ドルレアン(Adélaïde d’Orléans)

3cmから5cm径、開花はじめは丸弁咲き、成熟すると平咲きの花形となります。
どんぐりのような愛らしい丸みを帯びた蕾は濃いピンク。開花当初は、その色合が残って淡いピンクとなることもありますが次第にクリーム色、さらに純白へと変化します。
深めの緑、幅の細いつや消し葉。細く、柔らかな枝ぶり、350cmから500cm高さとなるランブラーです。
品種名等の由来
1826年、フランスのアントワーヌ・ジャック(Henri-Anoine A. Jacques)が育種・公表しました。センペルヴィレンスが交配親のひとつと見なされていますが詳細は不明です。
ルイ=フィリップの妹、ルイーズ・ドルレアン(Louise Marie Adélaïde Eugénie d’Orléans:1777-1847)に捧げられました。

アデライドは兄ルイ=フィリップが1794年、フランス共和制議会から”反革命”の烙印を押されて亡命を余儀なくされた後、1801年にアメリカへ亡命しました。
アメリカにおいて富裕な商人と結婚し4人の子供をもうけましたが、ルイ=フィリップがナポレオン失脚後の王制復古の機運により1814年にフランスへ帰国した折、アメリカの家族の許を離れ、兄と暮らす道を選択しました。
生まれながらの聡明さと長い海外生活から、母国語であるフランス語のほか、英語、イタリア語、ドイツ語に堪能で、兄ルイ=フィリップを政策上でもよく支えました。
この品種が彼女へ捧げられた時、フランスは王制復古派の勢力が優勢で、それゆえに安寧な毎日を送っていた時期でした。1830年、ルイ=フィリップはフランス国王に就きましたが、1848年に王位を追われてしまいました。アデライドはその前年に生涯を終えたため、兄の零落を見ることはありませんでした。
アデライドはボタニカルアートを趣味としていてピエール=ジョゼフ・ルドゥーテの指導を受けました。今日まで美しい植物が残されています。

フェリシテ・ペルペチュ(Félicité-Perpétue)

3cm径ほどの、小さな、多弁・ポンポン咲きの花が、ひしめくような房咲きとなります。
ピンクに色づいていたつぼみは開花すると淡いピンクが入ることがありますが、次第に純白へと変化します。
香りはわずか。
まるみのある、深い葉色。細く、柔らかな枝ぶり。450cmから600cm高さまで枝を伸ばす、ランブラーです。
大きめのフェンス、アーチ、パーゴラなどへ誘引すると、柔らかな枝ぶりの樹形を楽しむことができます。耐病性に優れ、多少の日陰にも耐え、花を咲かせます。棘も少なく、取り扱いが容易です。
温暖地域では葉をつけたまま冬季を越すことができるほどの強健種ですが、逆に冷涼地域での生育にはむずかしい面があるようです。
この品種の枝変わりにより矮性のポリアンサが生じ今日まで人気を保っています。リトル・ホワイト・ペット(Littel White Pet)です。花形、花色などはそっくり、樹形だけがランブラーからポリアンサに変化し、返り咲き性もあります。
品種名等の由来
この品種もアントワーヌ・ジャックにより1827年に育種・公表されました。
ちょっと変わった品種名については、由来についてふたつの説があります。
育成者ジャックは、生まれてくる子供にちなんでこのバラに命名しようとしていましたが、双子の娘が生まれたため、ふたりの娘の名、Félicitéと Perpétueを並べて命名したという説(J.H. Nicolas”A Rose Odyssey”)というのがひとつ。
キリスト教の教えを守って殉教した聖人、聖フェィチタス(St. Felicitasu)と聖ペルペトゥア(St. Perpetua)にちなんで命名されたというのが二つめの説です。
聖フェィチタス(St. Felicitasu)と聖ペルペトゥア(St. Perpetua)の物語
『聖ペルペトゥアと聖フェリシティの受難(Passion of Saints Perpetua and Felicity )』という日記(キリスト教テキスト)が今日まで伝えられています。
紀元203年、キリスト教が禁止され迫害されていたローマ帝国治世下、カルタゴで囚われ棄教を迫られたものの肯ぜず、殉教した女性ペルペトゥアが残したもので、彼女の殉教後、編集されて今日まで伝えられました。

ペルペトゥアが日記を残せたのは、彼女が看守に賄賂を贈ることができる裕福な家族のひとりであったからのようです。一方、フェィチタスは女性の奴隷で、他の奴隷と同じ時期に処刑されるはずであったところ、妊娠していたため繰り延べされていたと記載されています。
テキストは次のように語ります。
奴隷のフェリキタスは、妊娠中の女性の処刑は法律で禁じられていたため、他の者たちと一緒に殉教することは許されないのではないかと当初は心配していたが、娘を出産し殉教することになった。
当日、殉教者たちは円形劇場に連れて行かれ、群衆の要求により、彼らはまず一列に並んだ剣闘士たちの前で鞭打たれ、次に猪、熊、豹が男たちに、野牛が女たちに突きつけられ。野獣に傷つけられた彼らは、互いに平和のくちづけを交わし、その後剣で殺された。
ペルペトゥアの死について次のように説明されている。
ペルペトゥアは、痛みを味わうために骨の間に突き刺され、悲鳴をあげた。そして剣士の手が動かなくなると(彼は初心者だった)、自らその手を自分の首に当てた。(Wikipedia, 2023-12-12閲覧)
スペクタビリス(Spectabilis)

3㎝から7㎝径前後、ダブル咲きまたはポンポン咲きの花形となります。
モーヴ(藤色)の花色として登録されています。株が充実していると開花当初はラベンダー気味の淡いピンク、熟成すると色抜けしほとんど白といってよい色合いになります。しかし、花色は安定しておらず開花当初から熟成するまで純白のままであったり、また、他の品種が開花した後にようやく花開くという遅咲きとしても知られており、”不思議”品種のひとつです。
命名(スペクタビリス=特別な、珍しい)もそこに由来しているのではないでしょうか。
細めで深い色合いのつや消し葉。細く柔らかな枝ぶり、180cmから250cm高さとなるランブラーです。ランブラーとしては小ぶりの範疇に入ります。
品種名等の由来
1829年には市場に出回っていたという記録があります。
花形、葉、樹形などから、センペルヴァイレンスにクラス分けされていますが、だれがいつ育種したのか、また交配親の詳細などは不明のままです。ジャックが育種者ではない、数少ないセンペルヴィレンス・ランブラーのひとつです。
返り咲きの性質があるため、ノワゼットかチャイナにクラス分けされている品種との交配により生みだされたのではないかとみなされています。
プランセス・ルイーズ(Princesse Louise)

5cm径ほど、12弁ほどのセミ・ダブル、カップ型の花が数輪づつ集い咲きします。花色は淡いピンク、花弁裏のほうがわずかに濃い色が出ます。
深い色の葉みどりはセンペルヴィレンス系に特徴的なもの、500cmに達することもある大型のランブラーとなります。
品種名等の由来
このアントワーヌ・ジャックにより育種され、ルイ=フィリップの長女ルイーズ・ドルレアンア(Louise Marie Thérèse Charlotte Isabelle d’Orléan:1812-1850)に捧げられました。次に解説するプンセス・マリーとほぼ同じ時期の1829年に公表されました。

ルイーズ=マリーは1832年、ベルギー国王レオポルド1世(1790-1865)と婚礼の式を挙げました。2男2女を得ましたが、1850年、結核により死去しました。
現在ではあまり流通していないのですが、ジャックは1832年、”レーヌ・デ・ベルジュ(Reine des Belges:ベルギー女王)”という淡いピンクに花開くセンペルヴィレンスを公表しています。この品種の命名は、ご成婚のお祝いの意味があったものと思われます。後にベルギーの王位を継いだ次男レオポルド2世(長男は早逝)の悪政を見ることなく世を去ったのは、ある意味幸運だったのかもしれません。
英語の翻訳名「クィーン・オブ・ザ・ベルジャンズ(Queen of the Belgians)」と呼ばれることもあります。
プランセス・マリー(Princesse Marie)

3㎝径ほど、すこし閉じ気味の愛らしい花形、花束のように密集して開花するさまはじつに見事です。濃いピンクに色づいていたつぼみは開花するとラベンダー気味の明るいピンク。やがて淡い色合いへと移ろってゆき、おわりにはほとんど白へ。そのため、株全体は花色がグラデーションとなります。深い色の葉みどり、500cmに達することもある大型のランブラーとなります。
品種名等の由来
ルイ=フィリップの次女、マリー・クリスティーヌ・カロリーヌ・アデライード・フランソワーズ・レオポルディーヌ・ドルレアン(Marie Christine Caroline Adélaïde Françoise Léopoldine d’Orléans;1813-1839)に捧げられました。

マリー・クリスティーヌは、芸術、文芸にすぐれた才能を発揮しました。上に表示したマリー・クリスティーヌの肖像画の作者であるアリ・シェフェールに師事し、とくに彫像にすぐれた才能を発揮しました。ルイ=フィリップが王位に就いていた時代、テュイルリー宮殿内に専用のアトリエを持ち、制作にいそしんでいましたが、作品は王女の“手慰み”と呼ぶレベルをはるかに超えた高みに達していました。
作品の多くは政争の混乱の際、破壊されてしまいましたが、“祈るジャンヌ・ダルク像”など数点が残されています。

1837年、姉ルイーズ=マリーの夫であるベルギー王レオポルド1世の甥にあたるヴュルテンベルク公アレクサンダー・フォン・ヴュルテンベルク(Friedrich Wilhelm Alexander von Württemberg)と結婚しましたが、2年後の1837年、結核が悪化して若くして死去しました。
フローラ(Flora)
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3cmから7cm径、30弁前後、小輪の花が10から20輪ほど集う房咲きとなります。花弁が密集した、オールド・ローズのケンティフォリア・クラスのような花形が優雅です。しばしば、花芯に緑芽が生じます。
クリムゾンに色づいていた蕾は開花すると、ライラック・ピンクの花色と変化しますが、花弁の縁に濃い色が残ることが多く、微妙で繊細な色合となます。
香りはわずかです。プリムローズ(ヨーロッパ自生の淡いイエローの桜草)の香りがするという解説もありますが、はたしてどうでしょうか。
深い緑、とがり気味の、つや消しの葉、細く、柔らかな枝ぶり、300から450cm高さとなる、ランブラーとなる樹形です。
品種名等の由来
1830年にアントワーヌ・ジャックにより育種・公表されました。センペルヴィレンスの特徴が濃厚ですが、詳細はわかっていません。命名の由来もわかっていません。
「センペルヴィレンス交配種のなかでは、最も強健で、最高の品種のひとつだ…」(Charles Quest Riston, “Climbing Roses of the World”, 2003)とまで賞賛される品種です。センペルヴィレンス交配種では、フェリシテ・エ・ペルペチュがもっとも広く植栽されていると思われますが、この、ライラック・ピンクの美しい品種も、もっと愛されてもよいように思います。
数多い美しい庭をほこる英国においてもとりわけ人気の高いシシングハースト・ガーデン。春、強めの紅から淡い小花が群れ咲くランブラーが植栽されていてラベルに”フローラ(Flora)”と書かれているとのことです。
参考記事など
この記事の作成にあたってはHRG;Historic Rose Groupに掲載されたバーバラ・チェルトフ(Barbara Tchertoff)さんによるAntoine Jacques part I とAntoine Jacques part II に多くを負っています。ジャックに関しては、先駆的なランブラーの育種家として名を残しながら、参照できる資料の少なさに悩まされていました。貴重な研究を公表されたバーバラ・チェルトフさんに深謝します。