バラ、特にオールドローズが好きで名前の由来や育種の経緯などを調べています。
宿根草や葉色が美しい草花や灌木などをアレンジしたバラ咲く庭を愛でるのも長年の夢です。

忘れられた育種家、ルイ・パルメンティエ

“パルメンティエ家”の栄光と命名された美しいアルバローズ

フェリシテ・マルメンティエ(Félicité Parmentier)
Photo/Pascale Hiemann [CC BY SA3.0 via Rose-Biblio]

上の画像はフェリシテ・マルメンティエ(Félicité Parmentier;”パルメンティエ家の栄光”)と命名されたアルバローズです。
ロゼッタまたはクォーター咲き、熟成すると丸弁咲きの花形となります。
淡いピンク、花芯は色濃く染まり、緑芽ができることが多い、息を呑むほどに美しい花です。
蒼みを帯びた深い色合のつや消し葉、細めだが固めの枝ぶりとなる中型のシュラブ。アルバローズとしては比較的小さめな樹形。
華麗でそこはかとなく憂いを秘めたような、花色、花形、葉、樹形は精妙なバランスが保たれています。

今日まで美しいオールドローズが数多く伝えられていますが、そのなかにあっても特別に輝かしい品種だと思います。
ベルギーのルイ・ジョセフ・ジスレン・パルメンティエ(Louis-Joseph-Ghislain Parmentier:1782-1847)により育種されました。
この時代の常として、交配親は不明、育種年は1836年以前だということしか分かっていません。

偉大な育種家、ルイ・パルメンティエ

ルイ・パルメンティエは父アンドレ(Andre Parmentier:1738-1796) 、 母マリー・オルレアン(Mary Orlains :1748-1819)の11人兄弟の9番目の子として誕生しました。
兄ジョゼフ(Joseph Julien Ghislain Parmentier:1775-1852)はアンギャバンの市長をも勤め、熱帯植物などのコレクターとしても知られていた名士であり、また別の兄、父と同名のアンドレ(Andre Joseph Ghislain Parmentier:1780-1830)は米国ニューヨークへ移住し、ブルックリンに圃場を構え庭園デザインを行い、米国におけるガーデン・デザイナーの先駆と評されているなど、一族をあげた園芸一家であったようです。

パルメンティエ家の本拠地、ベルギーのアンギャン(Enghien:ブリュッセルの南西20㎞ほどの距離、エイヒーンと発音することも)において、パルメンティエは4半世紀以上にわたってバラの蒐集と育種を行いました。
1847年、彼は死去しました。

パルメンティエというとジャガイモと牛挽肉を用いたグラタン、”アッシ・パルメンティエ(Hachis parmentier)”を思い出す方も多いと思います。
実際、この料理は薬剤師、農学者、栄養学者で、ジャガイモの普及に努めたことで名高いアントワーヌ=オーギュスタン・パルマンティエ(Antoine-Augustin Parmentier:1737-1813)にちなんだものですが、姻戚関係にはなかったよです。

パルメンティエが残したバラ

ベルギー王立バラ協会(The Royal Rose Society ;”De Vrienden van de Roos” )のメンバーであるフランソワ・メルトン氏(Mons. François Mertens)は、1990年刊行のアンギャン考古学会報(ANNALES DU CERCLE ARCHEOLOGIQUE D’ENGHIEN, T. XXVI, 1990)の中でルイ・パルメンティエ育種のバラについて詳しく記述しています。

メルトン氏が論拠としたのはアドルフ・オットー(Adolf Otto)による『バラ園またはバラ栽培: “Der Rosengarten oder die Cultur der Rosen”)』で言及されたパルメンティエに関する記述でした。

それによれば、

パルメンティエの圃場では系統だった品番がつけられるなどていねいな品種管理がなされており、3000品種、12,000株のバラが栽培されていた…
そのなかには市場に提供されていない855の品種(うち800種はパルメンティエの庭園にのみ植栽されている)、255種は未命名のままであった…

とされています。

これはにわかには信じられないコレクションです。1815年ころ、ナポレオン前皇妃ジョゼフィーヌが金に糸目をつけず贅を尽くして収集した世に名高い”ジョゼフィーヌのバラ”は品種数250種ほどだったと考えられています。
30年が経過した後だとはいえ、3,000という品種数がいかに驚異的なものであったか想像できると思います。

このように、ルイ・パルメンティエは偉大なバラ育種家だったと思われます。なぜ「思われる」かには理由があります。
上述したように、パルメンティエが育種したと伝えられる800に及ぶオリジナル品種は、そうした伝承があるだけで実際には1847年の彼の死去後、競売に付され一部を除きほとんど散逸してしまったからです。

パルメンティエの消えた新品種


パルメンティエが精魂をこめた新品種は競売を経てフランスなどで当時活動していたバラ農場主の所有となり、その後、多くの品種はそれぞれの農場において新たな名前を付され市場へ出回るようになりました。

そのため、パルメンティエ作出品種の多くは別育種家により育種されたものとして記録されることとなってしまい、彼の作出とされるる800種のうち彼の育種品種として特定可能なものはわずかになってしまいました。

「バラはどこへ行ったの(Where have all the roses gone?)?」と声を大にして叫びたいところですが、今日でも、細々と消えたパルメンティエのバラを捜索するこころみは続けられています。

パルメンティエのバラを探す

先にあげた『1990年アンギャン考古学会報』には106品種がルイ・パルメンティエ作出として確認できる品種だと記載されています。
現在でも入手可能なものを挙げておきます。

  • アリス(Alice):白または淡いピンク(オールド・レース)のアルバ
  • アナイス・セガラ(Anaïs Ségalas):ディープ・ピンクまたはパープリッシュなクリムゾンとなるケンティフォリア
  • デジレ・パルメンティエ(Désirée Parmentier):ディープ・ピンクのガリカ
  • イネ・ド・カストロ(Inès de Castro):ペール・ピンクのケンティフォリア
  • マリー・ド・ブルゴーニュ(Marie de Bourgogne):ミディアム・ピンクのモス・ローズ
  • ベル・イジス(Belle Isis):ライト・ピンクのガリカ
  • ベラ・ドリア(Bella Doria):クリムゾンに白いストライプが入るガリカ
  • カーディナル・ド・リシュリュー(Cardinal de Richelieu;Rose van Sian):パープルのガリカ
  • ダゲッソー(D’Aguesseau):ミディアム・レッドのなるガリカ
  • イポリート(Hippolyte):パープルのガリカ
  • ナルキス・ド・サルヴァンディ(Narcisse de Salvandy):ディープ・ピンク/クリムゾン/チェリー・レッドのガリカ
  • ロズ・ド・スヘルフハウト(Rose de Schelfhout):ペール・ピンクのガリカ
  • トリコロール・ド・フランドル(Tricolore de Flandre):ピンク+ホワイトのガリカ

見つかったパルメンティエの品種

入手可能とされる上記のリストですが、すべてが簡単に入手できる状況にはありません。
以下はすでに入手困難なものもありますが、比較的出回っている品種です。

アナイス・セガラ(Anaïs Ségalas)

アナイ・セガラ(Anaïs Ségalas)
Photo/Rudolf [CC BY SA-3.0 via Rose-Biblio]

ディープ・ピンクまたはパープリッシュなクリムゾンとなるケンティフォリア。

一般的には1837年、ジャン=ピエール・ヴィベールにより育種・公表されたとされていますが、ルイ・パルメンティエは自分が育種したと記録に残しています。

アナイス・セガラ(1814-1895)はこの品種が公表された1837年、若干23歳でありながらすでに令名を馳せていた女性詩人です。

1836年、アナイは詩集『レ・オワゾー・ド・パッサージュ(Les Oiseaux de Passage:”渡り鳥”)』を公刊しました。
当時、育種家ジャン・ピエール・ヴィベールは美しいパープル/クリムゾンのケンティフォリアをパルメンティエから譲り受けていたと思われます。ヴィベールはこのケンティフォリアをアナイス・セガラスと命名して市場へ提供しました。(”From the notebook of a rosarian“, 2024.10.24閲覧)

デジレ・パルメンティエ(Désirée Parmentier)

デジレ・パルメンティエ(Désirée Parmentier)
Photo/Rudolf [CC BY SA3.0 via Rose-Biblio]

1841年のヴィベールのカタログや1843年のヴァン・ユウテのカタログなどに”オリジナル”品種として記述されているようですが、品種名はパルメンティエ夫人にちなむものですので、この品種も本来はパルメンティエ作出とするべきだとされています。

ルイとデジレ(Désirée Pletincx Lumay:1795-1868)との結婚は1818年、グスタフ(Gustave:1819-1840)という息子を得ましたが早世してしまい、直系の子孫は残りませんでした。

イネス・ド・カストロ(Inès de Castro)

淡いピンク花のケンティフォリアという記録がありますが、実株の入手は困難になってしまっているようです。品種名は「白鷺の首筋」と賛美されたポルトガル王が寵愛した女性にちなむんだものです。
日本では馴染みは薄いですが、ヨーロッパでは文学、絵画、音楽の題材として好んで取り上げられています。

“命乞いするイネス(部分)” Painting/Eugénie Servières, 1810 [Public Domain via Wikimedia Commons]

マリー・ド・ブルゴーニュ(Marie de Bourgogne)

マリー・ド・ブルゴーニュ(Marie de Bourgogne)
マリー・ド・ブルゴーニュ(Marie de Bourgogne)

1853年、ロベール(M. Robert)により育種・公表されたとされている美しいモス・ローズです。ロベールは1846年からヴィベール農場のガーデナーを勤め、1851年に農場を引き継いだ人物です。
この品種もルイ・パルメンティエの育種リストに記載されているということですので、ヴィベールがパルメンティエ圃場から入手し、さらにロベールに渡ったと思われます

ベル・イジス(Belle Isis)

ベル・イジス(Belle Isis)
ベル・イジス(Belle Isis)

飾りつけたような萼片に包まれていたつぼみは、開花すると中輪または大輪、カップ型、ロゼッタ咲きの花形となります。
淡いピンクの花色。ミルラ系の香りの典型とされる蟲惑的な香り。

ルイ・パルメンティエにより作出されました。
交配親は不明のままですが、ケンティフォリアや、ヨーロッパに広く自生している原種ロサ・アルベンシス(R. arvensis)の影響を感じ取っている研究者もいます。

デービット・オースチンはこのベル・イシスを交配親として最初のイングリッシュ・ローズであるコンスタンス・スプライを育成し、その後、輝かしい名声と栄光を手に入れました。

イシスはエジプト神話に登場する女神です。よき妻、よき母として、また豊壌を象徴していることから、エジプトからギリシャ、ローマへ伝えられ信仰の対象となりました。

ベラ・ドリア(Bella Doria)

ベラ・ドリア(Bella Doria)
Photo/AlmaohneHitch [CC BY SA3.0 via Rose-Biblio]

オープン・カップ型、クリムゾンに白いストライプが入るガリカ。現在市場に流通していますがパルメンティエ作出のものではなく、実際にはコマンダン・ボールペールとして流通している品種と同一のものではないかと疑問を呈する向きもあります。

カーディナル・ド・リシュリュー(Cardinal de Richelieu;Rose van Sian)

カーディナル・ド・リシュリュー(Cardinal de Richelieu;Rose van Sian)

中輪、花弁が乱れがちな深いカップ型の花。

花色は、深紅あるいは深いパープルとなりますが、中心は白を混ぜたように色が薄くなります。
パープルのガリカとして第一にあげられる名花です。

従来はオランダのヴァン・シアンという人物がフランスの育種家ラッフェイの元へ持ち込み、ラッフェイにより市場へ出されるようになったと解説されていました。
フランスのジョワイヨ教授はヴァン・シアン(Van Sian:”青”)という氏名の不自然さなどを指摘、実際にはルイ・パルメンティエにより作出されたのだろうと推論しました。現在ではこの推論が多くの研究家の賛意を得ています。

17世紀、フランス王ルイ13世のもとで宰相(在職:1624-1642)として辣腕をふるったリシュリュー枢機卿(1585-1642)にちなんで命名されました。

ダゲッソー(D’Aguesseau)

ダゲッソー(D'Aguesseau)

一季咲きのオールド・ローズのなかでは類稀れなミディアム・レッドの花色となるガリカ。

1836年、ヴィベールの育種とされることが多いのですが、上述の『アンギャン考古学会報』に記載されていることから、パルメンティエ圃場からヴィベールの手に渡ったのではないかと推察されます。(Francois Joyaux, “La Rose de France”)

アンリ・フランソワ・ダゲッソー(Henri François d’Aguesseau:1668-1751)にちなんで命名されというのが通説ですが、ヴィベールの孫にあたる、マルキス・ダゲッソー(Marquis d’Aguesseau)に捧げられたという説もあります。 (Stirling Macoboy, “The Ultimate Rose Book”)

イポリート(Hippolyte)

イポリート(Hippolyte)

ヴィオレットと表現するにふさわしい、深い色合いの花色です。
しばしば、もっとも完成されたガリカであると記述される、美しく、また、耐寒性、耐病性をそなえた品種です。

パルメンティエが生前公開した数少ない品種のひとつです。

1842年には、オランダの園芸家ルイ・ヴァン・ホウテ(Louis van Houtte:1810-1876)が残した文献に品種名が記されているとのこと。(”La Rose de France”)

全体としては、ガリカ・クラスの特徴を示していますが、樹形が比較的大きいこと、また、ケンティフォリアのように花弁が密集した花形など、典型的なガリカとは言えない特徴も備えており、交配には他のクラスに属する品種が使われたのではないかと言われています。

おそらくギリシャ神話に登場する女戦士アマゾンの女王イポリートにちなんだものだと思います。

この品種は、『アンギャン考古学会報』にリスト・アップされたパルメンティエ106品種に含まれていませんが、著名な品種ですので追加しました)

ナルキス・ド・サルヴァンディ(Narcisse de Salvandy)

ナルキス・ド・サルヴァンディ(Narcisse de Salvandy)
Photo/Krzysztof Ziarnek, Kenraiz [CC BY SA4.0 via Wikimedia Commons]

中輪または大輪、40弁ほどの丸弁咲き。
花色はチェリー・レッドまたはディープ・ピンク。古い記述によると花弁縁に白く色抜けするとのことです。

ルイ・ヴァン・ホウテにより市場に提供されましたが、ルイ・パルメンティエの作出と解釈されています。

19世紀初頭、ナポレオン没落後のフランス復古王制時に政治家として活躍した、ナルキス=アシル・サルヴァンディ(Narcisse-Achille de Salvandy:1795-1856)へささげられました。

現在入手可能なナルキス・ド・サルヴァンディは花色がモーヴ(藤色)気味の深いピンク単色となるものです。
しかし、ヴァン・ホウテによる園芸誌『ヨーロッパの温室/庭植え草花』1850 に記載されているイラストが残されているのものによれば、ディープ・ピンク/チェリー・レッドの花弁に白い覆輪が入る珍しい花色となっています。

オリジナルは失われてしまったか、または、枝接ぎを重ねているうちに先祖返りしてしまい、覆輪が失われてしまったと思われます。

ロズ・ド・スヘルフハウト(Rose de Schelfhout)

ロズ・ド・スヘルフハウト(Rose de Schelfhout)
ロズ・ド・スヘルフハウト(Rose de Schelfhout)

小さめですが、カップ型・ロゼッタ咲きとなる花形。
花色は淡いピンク、花弁の外縁はさらに淡く色抜けします。花芯に緑芽ができることもあります。
細く固めの枝ぶり、中型、立ち性のシュラブ。

花形、花色や明るい葉色など同じパルメンティエにより育種されたベル・イジスとよく似ていますが、ベル・イジスのほうが強いミルラ香に恵まれ、樹形もロズ・ド・シュルフトよりも大き目になります。

アンドレアス・スヘルフハウト(Andreas Schelfout:1787-1870)にちなんで命名されたというのが大方の理解です。

トリコロール・ド・フランドル(Tricolore de Flandre)

トリコロール・ド・フランドル(Tricolore de Flandre)
トリコロール・ド・フランドル(Tricolore de Flandre)

丸弁咲き、花色は淡いピンクにミディアム・ピンクの縞が入るストライプ。

前出のルイ・ヴァン・ホウテによる園芸誌『ヨーロッパの温室/庭植え草花』1846において紹介されたのが初出でした。そのため長くヴァン・ホウテ作出のバラとされてきましたが、園芸学者ヴァン・ユッテ自身は自ら育種を行うことはなかったことから、現在ではパルメンティエ作出の品種とされています。

Rose Tricolore de Flandore
(”Rose Tricolore de Flandore, Flore des serres et des jardins de l’Europe” by Louis Benoit Van Houtte, 1846 [Public domain. The BHL considers that this work is no longer under copyright protection.])