どんなバラ?
7cmから9cm径、35弁ほど、花芯に小さな花弁が密集する丸弁咲きとなります。単輪または数輪の連れ咲き。
開花初期の花色はダーク・レッド。熟成すると、次第に色濃く染まり、クリムゾンへと変化します。
強いダマスク系の香り。
縁のノコ目が強く出る幅広のつや消し葉。若枝には小さなトゲが密生してまるでモス・ローズのようですが、次第に剥落してトゲが目立たなくなります。細く固めの枝ぶり、90㎝から120㎝高さのこじんまりまとまるブッシュとなります。
品種が市場へもたらされた経緯
育種者、育種年またクラス分けについてもいくつかの説がありますが、ドイツの研究家クルスマン(Gerd Krüssmann)の解説がいちばん興味深いものです。
王立庭園の責任者であったルリオ伯爵(Comte Lelieur de Ville-sur-Arce)はバラ育種に熱心であった。(作業自体は庭園丁であったスシェ/Souchetにまかされていた)
パリ・ルクサンブール庭園に近在する圃場を持っていたデュポンのもとにはデュセス・オブ・ポートランドがあり、おそらくそれとガリカのアポシカリー・ローズとを交配して生み出したのがこの品種だった。
はじめこの品種はロズ・ルリオ(Rose Lelieur)と命名されたが(1812年ころ)、ナポレオンが失脚してエルバ島に流され王制が復活したとき王位に就いたルイ18世にちなんでロズ・デュ・ロワ(“王のバラ”)と改名された。
ところがナポレオンはエルバ島からフランス本土へ帰還して(“ナポレオンの百日天下”)皇帝に復位すると今度はロズ・ドレプルー/Rose-de l’Empereur(“皇帝のバラ”)と再度改名された。
しかし、ワーテルローの戦いで敗れたナポレオンがセント・ヘレナ島に流刑になった後はもとに戻ってロズ・デュ・ロワと呼ばれるようになった。庭園丁スシェが市場へ提供するようになったのは1815年になってからだった。(“The Complete Book of Roses”)
育種の経緯からこの品種はダマスク・パーペチュアル(ポートランド)にクラス分けされるのが通常ですが、ピーター・ビールズやグラハム・トーマスはハイブリッド・パーペチュアルの最も初期の品種だと解説しています。(Peter Beals, “Classic Roses”、 Graham S. Thomas, “Graham Stuart Thomas Rose Book”)
“Rose du Roi”は、”バラの王様”という意味ではなく、“王のバラ”、王の所有物という意味になります。庭園責任者→ルイ18世→復位した皇帝ナポレオン→復位したルイ18世と変遷する品種名には当時の激動する政治体制を反映しています
ロズ・デュ・ロワのパープルへの色変わり種だとしてロズ・デュ・ロワ・フルール・プルプレ/Rose du Roi à Fleurs Pourpresが流通しています。
ただ、ロズ・デュ・ロワは丸弁咲きながらカップ形になることもあり、フルール・プルプレが開き気味の丸弁咲きなるなど、花形に多少の違いがあることから、よく似た別品種なのではないかという説も出ています。
