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バラ、特にオールドローズ、ランブラーが好きです。
品種名の由来や込められた思い、あるいは背景となった物語、
また、育種者が生きた時代などへの想像をふくらませる作業などを続けています。
バラと宿根草や、葉色が美しいリーフプランツや灌木などを配置したコテージガーデンの作庭も夢見ています。

ソレイユ・ブリヨン(Soleil Brillant)- gallica

ソレイユ・ブリヨン(Solei lBrillant)

Photo/Rudolf [CC BY SA-4.0 via RoseBiblio]

ソレイユ・ブリヨン(Soleil Brillant)- gallica

どんなバラ?

飾り付けたような細めの萼弁につつまれていた赤みを帯びた蕾は開花すると17から25弁ほどのダブル咲き、7㎝から9㎝径の中輪、オープン・カップ形の花形となります。
花色はミディアム・ピンク、弁にスポット(班模様)がでることも。
強い香り。
深い色合いのつや消し葉、120㎝から180㎝高さほどの中型のシュラブ。
”輝かしい太陽”という名を冠した一季咲きのガリカです。明るい花色のため、サブ・クラスとしてアガサ/アガタ(Agatha)とされることもあります。

育種者、育種年など

現在、受け入れられている解釈
1798年以前、ドイツのシュヴァルツコフ(Daniel August Schwarzkopf)により育種されました。交配親の詳細は知られていません。

同種・別名?ヒュパティア(Hypatia)
1840年ころ、’ヒュパティア(Hypatia)’という品種名で流通しはじめたバラがあります。ガリカではなく、ケンティフォリアにクラス分けされていますが、実際には現在出回っているソレイユ・ブリヨンと同じもの、別名・同種だろうとされています。
そのことから、現在市場に出回っている実株がシュワルツコフが育種したオリジナルのものが1840年にヒュパティアとして流通するようになったのか、逆に、シュヴァツコフが育種した品種は消失してしまい、ヒュパティアがソレイヨ・ブリヨンの名を踏襲したのか判別しがたいものになってしまっていました。

ジョワイオ教授による解説

ガリカの解説書としてもっとも信頼のおけるジョワイオ教授は著作『フランスのバラ(La Rose de France)』(1998)のなかで次のように語っています。

1790 年以前… 1790 年のフランソワのカタログに記載されている古い品種… フランスのナーサリーはオランダから多くのバラを輸入していたため、この品種はオランダで生まれた可能性がある…
ソレイユ・ ブリヤンは、
1803 年のデスメのカタログ
1811 年のグラパンの年誌(後述)
1819 年と 1820 年のヴィベールのカタログに記載されている。
1912 年、(L’Haÿ バラ園のオーナー)グラブローは第一帝政時代(註:ナポレオン1世が帝位にあったの時代)のガリカを検討した後、ソレイユ ・ブリヨンとヒュパティアは同品種であると結論づけた。
L’Haÿ バラ園に植栽されているふたつの品種を較べると、同一であるように思われる…

以上のことから、ここではオリジナルのソレイユ・ブリヨンが、今日までそのまま存続している。1840年に別名ヒュパティアと呼ばれることもあるようになったと解釈することにしました。

育種者、年などの現在説の根拠

1783年に刊行された『Verzeichnis des Landschaftsparks von Schönbusch(ショーンブッシュ公園における植栽リスト)』の中に庭園丁であったクリスチャン・フランツ・ボード(Christian Franz Bode)」が作成したバラ・リストがありますが、その中にシュワツコフが育種したと思われるものが数多く含まれています。

Verzeichnis des Landschaftsparks von Schönbusch, 1783

また、1811年、クロード-トマ・グラパン(Claude-Thomas Guerrapain)が刊行した『婦人のためのバラ年誌(Almanach des Roses, dédié aux dames)』にも次のような解説があります。

ソレイユ・ ブリヨンは、このクラス(ガリカ)にふさわしい…
花芽は通常黄緑色で、萼は楕円形。
この花はケンティフォリアと同じ大きさで、また八重咲きで、雄しべはなく、濃いピンク色で、色合いの変化もなく、花びらは丸まって縮れている。これは美しい品種で、心地よい香りがする。

ヒュパティア~美しく聡明な女性哲学者

別名のヒュパティア(Hypatia or Hypathia:370?-415)は、東ローマがまだ地中海地域を支配していた4世紀、北アフリカのアレクサンドリアで博識で美しい女性で数学者、天文学者そして新プラトン主義を奉ずる哲学者として令名を馳せていた人です。

当時の東ローマ帝国はキリスト教を国教とする政策を強行しており、ギリシャに基盤を置く哲学、新プラトン主義者への弾圧をすすめていました。
目に見える実体を認識し、そこから構築された世界を理解しようとこころみる新プラトン主義はとくにキリスト教狂信者の憎悪の的となっていました。
ヒュパティアは415年3月、狂信者の一団に襲撃され陶片で肉体を引き裂かれるという残虐な方法で殺害されました。

世の趨勢とみずからが信じる思いとの相克に苦悩しながらも屹然と運命に立ち向かったヒュパティアは、多くの文学作品などの題材となりました。
アレハンドロ・アメナーバル監督によるスペイン映画『アレクサンドリア』(2009年公開)などがその一例です。

ルネサンス芸術を代表する画家のひとり、ラファエル・サンティ(Raffaello Santi:1483-1520)が残した傑作『アテナイの学堂』は古代ギリシャの哲学者達を描いた群像図として知られていますが、絵画の左側で横向きの姿勢から顔をこちらに向けている白衣の女性がヒュパティアだろうと解釈されています。

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