ノイバラ(野茨)/ロサ・ムルティフローラ(R. multiflora)
国内でいちばんよく見ることができる野性バラはノイバラ(野茨)です。ただ、日本固有種ではなく朝鮮半島や中国東部にも自生しています。

花径は2cm径前後、花色は純白、ときに淡いピンクとなる変化が見られます。
卵型の、くすみのある明るい葉緑、櫛状となる托葉(葉柄の付け根の葉)が特徴的です。この特徴が詳細不明品種をムルティフローラ(ノイバラ)・クラスに特定する目安のひとつになっています。
350cmからときに500cmほどまでの高さに達するランブラーとなります。
自生地
日本の北海道南部から九州までひろく自生し、朝鮮半島、中国東部、台湾などでも自生が確認されています。河川堤防など、日照のよい、水もちのよい土壌を好みます。
固有種としての登録と交配親としての利用
J.A. ミュレイ(J.A. Murray)が編集、継続的に発行されていた植物誌、“Systema Vegetabilium”の1784年版で新品種として公表されました。標本を提供したのはカール・ツンベルグ(Carl Peter Thunberg:1743-1828)でした。ツンベルグは幕末に長崎の出島館付きの医者として来日しました。医業にいそしむかたわら、多くの植物を蒐集し母国スエーデンへ持ち帰りました。帰国後『日本植物誌(Floral Japonica)』を上梓した人物です。
こうした学術的な論評とは別に、1860年ころ、フランスの植物学者ジャン・シスレー(Jean Sisley)のもとへ、日本に滞在していた息子からノイバラの種が送られてきました。シスレーはその種の実生により実株を育てた結果、その利点を評価したことからノイバラが園芸に利用されるきっかけになったと言われています。(”The Graham Stuart Thomas Rose Book”、2004)
交配親としての評価
国内では園芸種としては、あまりかえりみられることがありませんでした。しかし、18世紀にヨーロッパへ渡ったのち、1872年にポリアンサ、1907年にフロリバンダという新しいクラス(品種群)の創出に大きな役割をにない、バラの魅力をいちだんと高める役割を果たすことになりました。
また、ノイバラを交配親として、小輪花が群れ咲き、枝が下垂するランブラーが数多く生み出され、これらはハイブリッド・ムルチフローラ(ノイバラ系ランブラー)というひとつのクラスを成すこととなりました。
ランブラーと称されるバラには、実際には、ノイバラ系、照り葉ノイバラ系、アルヴェンシス系などいくつかの系列に分けることが出来ます。しかし、20世紀に入ると、それぞれの系列にまたがった交配が行われるようになり、系列に分けることの意味合いは薄れてゆきました。しかし、ノイバラ系ランブラーを理解する上でも、交配親として利用された園芸種など、育種の経緯を調べてグループ分けを行うと分かりやすくなるのではないかと考えました。
ノイバラ系ランブラーのグループ分け
ノイバラ系ランブラーをさらにグループ分けするこころみはあまり見当たりません。世界的に認定されたものはないようです。しかし、すでに多くの品種があり、ある程度の分類は必要だと感じ、三つのグループに分類しました。以下は私案として作成したものです。
ノイバラ・カタエンシス系

すでに触れましたが、原種のノイバラは1784年、ツンベルクによりヨーロッパに紹介されましたが、しばらく着目されることはありませんでした。そして、1860年ころになって、フランスのシスレーなどにより房咲きする性質が見直され、育種に用いられるようになりました。
実は、このシスレーによるノイバラの再評価と同じ頃、古い由来の園芸種(自然交雑からの選別種か?)がいくつか日本からヨーロッパに渡っています。
ロサ・ムルティフローラ・カタエンシス(R. m. var. cathayensis)もそのひとつです。

1907年、E.H. ウィルソンにより中国で発見されたと記録されていますが、中国各地でかなり頻繁に見出される品種のようです。ロサ・ムルティフローラ・カタエンシス(R. multiflora cathayensis;“中国由来の”という意味)という学名で登録されました。
実はこの品種は、小石川植物園において「サクライバラ」という品種名で栽培されていました。ヨーロッパにおける品種登録にわずかに遅れた1908年、牧野富太郎博士はこのサクライバラを原種ロサ・ウチヤマナ(Rosa x uchiyamana)と命名しました。小石川植物園の園丁長であった内山富次郎氏にちなんだものです。しかし、ヨーロッパにおける品種登録のほうが先であったため、正式学名は“ウチヤマナ”ではなく、“カタエンシス”となりました。
サクライバラは、実際にはずっと古くからあったことが分かっています。以下のような事実があるからです。
岩崎灌園が残したサクライバラ図
岩崎灌園は幕府の徒士組(カチグミ)に属する下級武士でした。本草学を学び、若い時代から20年以上かけて『本草図譜』92巻を完成させました。1828年(文政3年)のことだとされています。
この図譜は2,000種におよぶスケッチを記載したものでしたが、木版印刷されて刊行されたのは5巻から10巻の5巻のみで、残りは求めに応じて模写されて流通しました。(Wikipedia等)
サクライバラも図譜のなかで紹介されています。図譜では、
「葉大にして五葉をなし花單辯淡紅色にて形櫻花色の如し」と記述されています。
花木の花海棠(ハナカイドウ)の花は、花芯は白、花弁縁に淡くピンクが入ります。このハナカイドウと花が似ていることからカイドウ(海棠)バラと呼ばれるバラがあります。サクライバラとカイドウバラとは同種別名だとする記述を見受けますが、『本草図譜』では別種として扱われています。


‘左:サクライバラ、右:カイドウバラ’ illustration/岩崎灌園 [C0 via本草図譜/第3冊/巻27蔓草類3国立国会図書館蔵]
ムルティフローラ・カタエンシスは、原種ノイバラよりもずっと大輪となります。チャイナ・ローズとノイバラの自然交配種ではないかと言われています。
この原種交雑種カタエンシスが重要なのは、この品種からロサ・ムルティフローラ・カルネア(R. multiflora carnea)が生み出されたのだろうと考えられるからです。
カタエンシス系‐カルネア(R. m. carnea)
ムルティフローラ・カタエンシスは5弁のシングル咲きでしたが、多弁化した品種ロサ・ムルティフローラ・カルネア(R. multiflora carnea)という品種があります。カルネアはカタエンシスが元になったのだろうと考えられています。

‘ロサ・ムルティフローラ・カルネア(R. m. carnea)’ Illustration/? [Public Domain via Bilderbuch für Kinder Vol. 5, 1805]
この美しい品種カルネア(“肌色”)も中国で古くから知られていたようですが、ヨーロッパで知られるようになったのは、1805年です。元となった原種より、交配種のほうが先にヨーロッパへわたり、親のほうは100年ほど遅れてヨーロッパに知られるようになったようです。
現在でもムルティフローラ・カルネアという品種名で出回っているものがありますが、それらが1805年に記事に載ったカルネアと同じものかどうか、よくわかっていません。よく、似てはいるけれど…と、疑問に思っている人のほうが多いようです。

美しいカルネアでしたが、交配親としては利用されることはあまりありませんでした。
また、ムルティフローラ・カタエンシスを交配親として生み出されたのではないかと思われている別品種があります。セブン・シスターズ (Seven Sisters:七姉妹)です。

3cm径ほど、ホワイト、淡いピンク、また、鮮やかなピンクと一房で色変わりが生じます。
450cmから600cmほどまで枝を旺盛に伸ばすランブラーです。先がとがった細身の葉はまぎれもなく、ノイバラの系統であることを示していますが、明るい色合いで大きめの葉は原種とは異なるため、交配種であることは明白です。
賀集久太郎『薔薇栽培新書』(明治35、1902年刊)によると、中国、明代の農政書『汝南圃史』(1580年ころ刊行)に「十姉妹」という名前で記載されていると解説されています。非常に古い由来の品種です。
ヨーロッパへ渡ったのは、1815年から1817年頃、イギリスのグレヴィール卿(Sir Charles Greville)が日本より種子を手に入れてからとされています。そのことから、ロサ・グレヴィレリ(Rosa Grevilleli)と呼ばれることもあります。(”Graham Stuart Thomas Rose Book”, 2004)
一般的に流通するようになったのは、フランスを中心にヨーロッパ全域で広く園芸業を営んでいたルイ・C・ノワゼット(Louis Claude Noisette)が、1819年に挿し穂から育てた株を市場へ提供するようになってからだと言われています。
著しい花色の変化から七姉妹(Seven Sisters)と命名されたのだろうという解説が多いのですが、なにか釈然とせず、なぜ「七姉妹」なのだろうかとずっと疑問を感じていました。最近、ようやく納得のゆく解釈にたどり着くことができました。
七姉妹(Seven Sisters)についての言い伝え
一年に一度だけ、7月7日の夜にだけ会うことが許されていた織姫と牽牛の話はよく知られた中国古来の神話です。
いろいろ変遷のある神話なのですが、織姫は七仙女(しちせんじょ)という七姉妹の末娘だったという言い伝えがあります。七仙女は虹色などにちなんだ羽衣を羽織っていたとも。そして、織姫は七番目の娘、七姐(しちそ)と呼ばれることもあります。
ある日、織姫は牽牛と出会い、ふたりは恋仲になりました。しかし、織姫が織物を提供しなくなっため、不自由に苦しんだ天帝は織姫を天界へ連れ戻してしまいます。織姫は牽牛との逢瀬がないことに嘆き悲しみます。そうした織姫を憐れんだ天帝は、一年に一度、7月7日の夜だけ、二人が会うことを許すことにしました。織姫はカササギが天の川に架けた橋を渡って牽牛に会いにゆくのです。
この中国由来の古い品種セブン・シスターズ(“七姉妹”)は、織姫あるいは織姫と姉たちの呼称である”七姉妹”の名で呼ばれていたのだと思うようになりました。
今日でも広く栽培されていて多くのバラ園で実株を鑑賞できるセブン・シスターズですが、この品種もカルネアと同様、交配親として用いられることはほとんどありませんでした。
次にご紹介するのはド・ラ・グリフェレ(De la Grifferaie)です。

開花時、深いクリムゾンであった花色は、熟成するに従い、急速に退色しピンクへと変化します。中にはほとんど白に近いほどになるものもあります。新しいクリムゾンの花と、退色したピンクの花がグラデーションの効果を生み、また、花自体にもストライプや班模様がでるなど、めまぐるしく変化する色合となります。
深い緑のつや消し葉、トゲの少ない、細いけれど固めの枝ぶり。シュートの発生の多い、250cmから350cm高さの高性のシュラブとなります。
樹形や花つきなどから、ノイバラ交配種にクラス分けされていますが、その一方で、くすんだような深い葉色、丸めの葉形、密生する茶色の小さなトゲなど、ガリカに似通った形質が見られます。そのことから、ピンク咲きのムルティフローラ・カタエンシスと赤花のガリカの交配により生じたというのが、一般的な理解です。
なお、由来が知られていないロサ・ムルティフローラ・コクシネア(R. multiflora coccinea)という品種からの実生種だという説もあります。コクシネアは“赤”という意味のラテン語なのですが、現在コクシネアの名前で流通している品種は明るいピンクのノイバラ・ランブラーですので、信憑性が薄いという気がします。
また、1845年、フランスの名育種家、ジャン・P・ヴィベール(Jean Pierre Vibert)により公表されたことから、彼が育種したという説もありますが、ヴィベールの研究で名高い、ディッカーソンは「それはなかろう」と否定的なコメントを残しています。
非常に強健な品種であることから一時期バラの台木として利用されることもありました。また、オーストリー=ハンガリーの孤高の育種家ゲシュヴィントは以下のリストのような赤や紫など濃色のランブラーの育種の交配親として利用したことでも知られています。
ゲシュヴィントが育種した濃色のランブラー
- 1884年以前、エルルケーニヒ(Erlkönig;魔王)
- 1884年以前、ニンフェ・テプラ(Nymphe Tepla)
- 1889年ころ、コーポラル・ヨハン・ナギー(Corporal Johann Nagy)

‘エルルケーニヒ(Erlkönig;魔王)’

9cmから11cm径、皿を重ねたような浅いオープン・カップ型となる花形。
深いピンクの花色。外輪は色抜けして明るいピンク、ときにほとんど白に近くなります。
250cmから350cm高さのランブラーとなります。
品種名の由来
ドイツの文豪、ゲーテの詩『魔王(Erkoenig)』にちなんで命名されました。

嵐の夜、病気の息子を抱いて医者のもとへと急ぐ男、息子は父に魔王の姿が見えると訴えます…。
かくも晩い夜と風のなかを抜け、馬をいそぎ駆るのは誰か?/Wer reitet so spat durch Nacht und Wind?
それは子を連れた父/Es ist der Vater mit seinem Kind;
彼は息子をしっかりと抱いている/Er hat den Knaben wohl in dem Arm,
息子よ、なぜ恐れおののき顔を伏せるのだ?/Mein Sohn, was birgst du so bang dein Gesicht? –
お父さん、魔王が見えないの?/Siehst, Vater, du den Erlkönig nicht?
冠をかぶり、尾が生えている魔王が?/Den Erlkönig mit Kron' und Schweif? –
…
1815年、若きシューベルトはこの詩に曲を付けました。当時はまだ世に知られていなかったシューベルトでしたが、彼が残した名歌曲のひとつとして今日までひろく歌われていることはご存知の通りです。
曲がつけられたことを知ったゲーテは、はじめシューベルトを評価しなかったようです。ゲーテはまたベートーベンの楽曲を高く評価しつつも彼の倣岸さを忌み嫌ったとも伝えられています。同時代を生きた芸術家たちとは折り合いが悪かったのかもしれません。
‘ニンフェ・テプラ(Nymphe Tepla)’

9㎝径ほどの中・大輪、40弁ほどのカップ型となる花形。
花色はモーヴ、またはパープリッシュ・ピンク。
300㎝高さほどとなるシュラブとなります。
ド・ラ・グリフェレの実生から生じたとされていますが、育種者ゲシュヴィントが当時、交配に頻繁に用いていた原種のロサ・セティゲラ(R. Setigera)に似通っていることから、ド・ラ・グリフェレとセティゲラの交配種ではないかという見解もあります。
‘コーポラル・ヨハン・ナギー(Corporal Johann Nagy)’

ころりとまるまったつぼみは開花すると、7cmから9cm径、カップ型、ロゼッタ咲きとなることが多い花形です。
ストロング・ピンクの花色ですが外輪は白く色抜けし、ツー・トーン・カラーとなります。
350cmから500cm高さ、しなやかな枝ぶりのクライマーとなります。
ド・ラ・グリフェレといずれかのハイブリッド・パーペチュアルとの交配により生み出されたとい言われています。
カタエンシス系‐ラッセルズ・コテージ・ローズ
以上解説したノイバラ系ランブラーのなかには、非常に古い由来のものがあります。ラッセルズ・コテージ・ローズ(Russell’s Cottage Rose)です。

モス(苔)のようなトゲが密生したつぼみは、開花すると、ヴァイオレット気味、深い色合いのピンクの中輪花となります。
5m高さに達するなど大株となりますが、枝ぶりに勢いがあり、長く伸びてもあまり下垂しないこともあります。そのため、ランブラーではなくシュラブの一種とする研究家もいます。
品種名等の由来
1840年ころ、あるいは少し前に、第6代ベッドフォード公爵であったジョン・ラッセル(John Russell:1766-1839)にちなんで命名されました。命名者は公爵の館であるウォーバーン・アビー(Woburn Abby)の庭丁であったジョージ・シンクレア(George Sinclair)でした。
この品種はカタエンシスとド・ラ・グリフェレの交配によるだろうとするのが一般的ですが、じつはかなりの数の異説があります。
ノイバラ・クラスとされるのが一般的だが、(原種の)ロサ・セティゲラかハマナスに近いのではなかろうか。また、スカーレット・グレヴィレ(Scarlet Greville)等々と別名で呼ばれることもあるが、そのことから類推されるのは、この品種もまた、(セブン・シスターズと同様)グレヴィレア卿がアジアから手に入れたものなのかもしれないということだ…また、ド・ラ・グリフェレとの関連もあるのかもしれない」
(”Graham S. Thomas Rose Book”、2004)
19世紀のロザリアンたち、ウィリアム・ポール、トーマス・リヴァースやロバート・ブイストたちはこの品種をノイバラ交配種としていた。しかし、ウィリアム・プリンスは、これはノイバラ交配種ではなく、フランスで育種された、チャイナ・ローズのパラージ・パナッシェ(Pallagi panache:“班模様のパラージ”)ではないだろうか、かなり以前に入ってきたこの品種を英国内で流通させるため、ラッセルズ・コテージ・ローズと改名したのではないだろうかと解釈していたようだ」
(“Climbing Roses” Scanniello & Bayard、1994)
当のプリンスは自著『プリンスのローズ・マニュアル(Prince’s Manual of Roses)、1846』のなかで、次のように解説しています。
スカーレット・グレヴィレ、ラッセリアーナ、またコテッジ・ローズと呼ばれるこのバラは、(ノイバラ)交配種なのかもしれない、けれども私自身はかなり疑わしいと思っている。ノイバラ交配種にみられる性質と多くの相違点があるからだ。そして、実際、これはチャイナ・ローズのパラージ・パナッシェなのではないだろうか。わたしはパラージ・パナッシェを英国内の市場に出回るかなり前にフランスから輸入したのだが、英国に輸入された時点で、冒頭に述べた三つの名前に改名されたのではないだろうか…
バラ園で出会ったら「フランス、中国、いったい君はどこから来たの?」と尋ねてみたらどうでしょう。きっと、野趣たっぷりで個性的だけれども、仲間や友達もなく、孤独で寂しそうにしていると思いますので。
このラッセルズ・コテージ・ローズの実生から生み出されたのが、ジプシー・ボーイ(Gipsy Boy:別名、Zigeunerknabe)です。

花色はカーマイン/バーガンディまたは深いクリムゾン、熟成するとパープルの色合が濃く出ることもあります。
120cmから180cm高さの固い枝ぶりの、横張りする性質の強いシュラブとなります。
品種名等の由来
この品種も、1909年、オーストリア=ハンガリーのゲシュヴィント(Rudolf Geschwind)により育種されました。
「私の庭で、最も繁茂している品種のひとつ…」とグラハム・S・トーマスより賛辞を送られています。(“The Graham Stuart Thomas Rose Book”, 2004)
公表当時の品種名はツゴイネルクナーベ(Zigeunerknabe)ですが、英訳の”ジプシー・ボーイ(Gipsy Boy)”という名のほうが広く知られています。
イングリッシュ・ローズの交配親として
実はジプシー・ボーイはパープル系のイングリッシュ・ローズ(ER)の誕生に深く関わっています。
ERの最初のパープル系に花咲く品種はキアンテ(Chiante)でした。キアンテは種親をクリムゾンのフロリバンダ(FL)ダスキー・メイドン(Dusky Maiden)、花粉親をガリカのトスカニー(Tuscany)としたものですが、このキアンテとジプシー・ボーイとを交配して生み出されたのが、ザ・ナイト(The Knight)でした。
デイヴィッド・オースチンはさらに、このザ・ナイトを種親に、ペルネ=ドウシェが1907年に育種・公表したHTシャット―・ド・クロ・ヴジョー(Château de Clos Vougeot)など深いクリムゾンに花開く品種を花粉親として、以下のような濃色の赤/クリムゾンのERを生み出しています。
- 1977年、ザ・スクワイヤー(The Squire)
- 1982年、プロスペロー(Prospero)
- 1984年、ウェンロック(Wenlock)など

ノイバラ・ターナーズ・クリムゾン系
ロサ・カタエンシスを交配親としたノイバラ系ランブラーについてながながと解説しました。
次にターナーズ・クリムゾン・ランブラー(Turner’s Crimson Rambler)とそこへ連なる交配種についてご紹介します。
ターナーズ・クリムゾンも濃い色合いのランブラーの育種に大きな貢献をした品種です。

3cmから7cm径のカップ型または丸弁咲きとなります。花色は少し鈍色が入ったようなクリムゾン。この品種の花色が多くの赤いランブラーに受け継がれることとなりました。450cmからときに900cm高さへ達する大型のランブラーです。
品種名等の由来
スコットランド出身の機械工学教授であったロバート・スミス氏(Professor Robert Smith)は明治維新後、日本に滞在していました。熱心なバラ愛好家であったスミス氏は日本国内の園芸業者(?)から入手したこの品種を自国の園芸業者であるジェナー氏(Mr. Jenner)へ送りました。
1878年、この品種はスミス氏の職業にちなんでジ・エンジニア(The Engineer)と名づけられました。
しかし、株はその後、いく人かの所有者を転々としたのち、1893年、イングランドのチャールズ・ターナー氏(Charles Turner)のもとから、クリムゾン・ランブラーと改名されて公表されました。そのことから、この品種はターナーズ・クリムゾン・ランブラーと呼ばれるようになりました。
公表当時は、多くのバラ愛好家にとって、初めて目にする”赤い”ランブラー”であったため、驚きと賞賛をもって迎えられたと伝えられています。(”Climbing Roses”、Stephen Scanniello & Tania Bayard、1996)
交配親などは不明ですが、ノイバラの自然交雑種または交配種であることは明らかです。
深い赤の花色が愛でられ、多くの赤花、あるいはパープル系のランブラーの交配親となりました。今日でも広く植栽されているランブラーをいくつかご紹介しましょう。
- 1902年、ハイアワサ(Hiawatha)
- 1903年、ブラッシュ・ランブラー(Blush Rambler)
- 1908年、エクセルサ(Excelsa)
- 1909年頃、ファルヘンブラウ(Veilchenblau )
- 1910年、タウゼントショーン(Tausendschön)

ハイアワサ(Hiawatha)

3cm径前後、シングル、平咲きの花が春、枝を覆いつくすような房咲きとなります。
深いピンクの花弁、中心部は白く色抜けし、ホワイト・センターとなります。花芯のイエローのオシベが加わって、強いコントラストの効果が生じます。
少し小さめ、楕円形ながら少し丸みを感じさせる、深い色合の照り葉、柔らかな枝ぶり、350cmから500cm高さへ達するランブラーとなります。
品種名等の由来
1904年、アメリカのマイケル・ウォルシュ(Michael H. Walsh)により育種・公表されました。
クリムゾン・ランブラーを種親に、シングルの赤花を咲かせるクライマー、ポールズ・カーマイン・ピラー(Paul’s Carmine Pillar)を交配親とした交配により生み出されと記録されています。
命名はアメリカの詩人、ロングフェローがアメリカ原住民の間に伝わる英雄譚をもとに著した『ハイアワサの歌』にちなんだものです。

ハイアワサは立ち上がり、老いたノコミスに別れを告げ、眠っている客を起こさぬように囁いた
ノコミスよ、私は行く、長く遠い旅路へ。夕日の門へ、故郷の風の吹く地へ
ハイアワサは16世紀に実在した人物ですが、言語も生活基盤も異なる部族間の平和と協調を説き、伝説化、神格化された人物です。ロングフェローはこの民族譚をもとに、スペリオル湖南岸を舞台に設定して叙事詩『ハイアワサの歌』を著しました。詩は、ハイアワサ(”川を作る者”の意)の生誕、成長、冒険を平明な言葉で綴ってゆきます。1855年に発刊されると、叙事詩であるにもかかわらずベスト・セラーとなりました。
アメリカに滞在していたドボルザークはこの叙事詩に心動かされ、スケッチ的に小曲を作曲しましたが、後に交響曲第9番(新世界より)第2楽章の主題に転用したと言われています。
詩の発刊以後、ハイアワサは誇り高いアメリカ原住民の象徴となっています。
育成者ウォルシュが作出した品種にはハイアワサの妻であったミネハハ(Minnehaha;”笑う水”の意) にちなんだランブラー(ウィックラーナ/照葉ノイバラ系)もあります。

ブラッシュ・ランブラー(Blush Rambler)

3cm径ほどの、セミ・ダブル平咲きの花がいっせいに開き、あふれるような房咲きとなります。
花色はストロング・ピンクですが、花によって色合いに濃淡が出ますので、自然なグラデーションとなり優雅です。
生育は旺盛で500cmを超える、極高のランブラーとなります。
育種、品種名等の由来
クリムゾン・ランブラーとホワイトのランブラー、ザ・ガーランド(The Garland)との交配により生じた強健品種です。
1903年、長い伝統を誇るイギリスのカント農場より育種・公表されました。淡い色のピンクの小花が密集して咲く、原種ロサ・ソウリアーナ(R. souliana)系のキュー・ランブラー(下図)と混同されがちだという記事(Michael Gibson, “Fifty Favourite Roses”)もみられます。あっと驚くほどの大株となることなど似た印象があるためかもしれません。

エクセルサ(Excelsa)

2cmから3cm径の小さなポンポン咲きの花が競い合うような房咲きとなり、みごとです。
花色はミディアム・レッド(ARS)として登録されていますが、実際にはディープ・ピンクとしたほうが良いように思います。
丸みの強い、小さな、深い色合の照り葉は原種、照り葉ノイバラ(ロサ・ウィクラーナ)の性質を色濃く継いでいます。非常に柔らかな枝ぶり、350cmから500cm高さへ及ぶランブラーとなります。
育種・品種名等の由来
日本に自生する原種、照葉ノイバラ(R. luciae)とクリムゾン・ランブラーとの交配により生み出されたと言われています。
1909年、アメリカのウォルシュが公表しました。花色と花形はクリムゾン・ランブラーから、樹形は照り葉ノイバラから受け継いだという印象を受けます。
レッド・ドロシー・パーキンスという別名のとおり、花色をのぞけば、ウィックラーナ(照葉ノイバラ)系のランブラー、ドロシー・パーキンス(下図)とよく似た性質を示しますが、ドロシー・パーキンスの枝変わりの品種ではありません。ドロシー・パーキンスとともに、そのしなやかな枝ぶりを生かし、スタンダード仕立てとされることも多い品種です。

ファルヘンブラウ(Veilchenblau )

3cmから7cm径、セミ・ダブル・浅いカップ型の花が競い合うような房咲きとなります。
花色はモーヴ(藤色)。花弁の中心部は白くぬけ、花芯のイエローのシベがアクセントとなります。
350cmから500cmほど枝を伸ばすランブラーとなります。大きめのアーチやフェンス、パーゴラへの誘引をおすすめします。
育種・品種名等の由来
1909年、クリムゾン・ランブラーと、パープルのハイブリッド・セティゲラ、エアインネルンク・アン・ブロット(Erinnerung an Brod)との交配により育種され、ドイツのJ.C. シュミット農場(Kiese /J. C. Schmidt:シュミット農場の育種家キース)から公表されました。
ブルー・ランブラーという別名で知られることからも明らかですが、代表的なパープルの色合いのランブラーとして、今日でも変わらずに愛好されています。
ファルヘンブラウとは”すみれ色”という意味です。(ドイツ語)
ファルヘンブラウはまた、多くのパープル、モーヴ(藤色)、クリムゾンとなるランブラー、ヴィオレット(Violette)やローズマリー・ヴィオー(Rose-Marie Viaud)などなど濃色系のノイバラ・ランブラーの交配親となりました。


タウゼントショーン(Tausendschön)

3㎝から7cm径、セミ・ダブル、波うつ花弁が大きく開く平咲きの花。枝を覆いつくす、絢爛豪華な房咲きとなります。
ピンクの濃淡がそれぞれの花に出て、株全体にグラデーションをかけたような、美しい光景を演出してくれます。
350cmから500cmほど枝を伸ばすトゲがほとんどないランブラーです。
育種・品種名等の由来
この品種もファルヘンブラウと同じドイツ、エルフルトのシュミット農場(Hermann Kiese /J. C. Schmidt)から、1906年に育種・公表されました。
イエロー・ブレンドのランブラー、ダニエル・ラコンブ(Daniel Lacombe)と、ホワイトのランブラー、ヴァイサー・ヘルムストレイシェール(Weisser Herumstreicher)との交配により育種されという解説がありますが、淡いイエローと白花のランブラーの交配からピンクの品種が生じたというのは不自然な印象を受けます。シュミット農場では赤花ランブラーとして著名なクリムゾン・ランブラーの実生から生じたと考えていたようです。しかし、クリムゾン・ランブラーとタウゼントショーンは葉の様子などに大きな違いがあります。今となっては調べようもないのですが、不詳の花粉親の性質を強く受け継いでいるのかもしれません。
非常に優れたつるバラに関する著作、『クライミング・ローゼズ・オブ・ザ・ワールド(Climbing Roses of the World)』を著した、チャールズ・クエスト=リットソン(Charles Quest-Ritson)は著作の中で
「すべての時代を通じて、もっとも偉大なガーデン・ローズのひとつだ」と絶賛しています。
名前(”千の美”の意)にふさわしい、すぐれた品種です。ノイバラ系のランブラーの最高レベルにあると言ってよいでしょう。
ノイバラ・ポリアンサ系
著名なプラント・ハンターであるロバート・フォーチュン(Robert Fortune:1812-1880)は、1841年から長期間中国に滞在してヨーロッパでは知られていない樹木、草花などの種や生体の多くを故国である英国へ送っていました。
中国滞在の合間をぬって、1860年ころには台湾や日本をも訪問し、さらに植物蒐集を行うなど活発な活動で知られています。
フォーチュンがよく知られているのは中国が占有していた茶の原木を何万株もインドに持ち出し、インドのダージリン地方などで栽培し、本国イギリスへ輸出したこと(実は密輸出)でしたが、当時、ヨーロッパでは知られていなかったバラも蒐集しています。
1844年には大輪、明るい黄色に花咲くシュラブ・ローズを、1850年にはナニワイバラ(R. laevigata)とモッコウバラ(R. banksiae banksiae)との自然交配種と思われる、小輪・白花のランブラーを本国イギリスに送りました。
後日、彼の功績にちなみ、黄色い大輪花種はフォーチュンズ・ダブル・イエロー(Fortune’s Double Yellow)、白花のランブラーは、フォーチュニアーナ(Fortuniana)と命名されることになりました。ダブル・イエローは、ティーローズの元品種として広く交配に用いられ、今日でも鑑賞することが出来ますが、残念ながら、フォーチュニアーナの実株を観察することはむずかしくなってしまったようです。


それら2種に加え、1865 年頃、フォーチュンは、中国において、ノイバラの変種と思われる、小さなブッシュとなる品種をイギリスに送りました(1862年、日本に滞在していたおりに園芸業者から入手したという異説もあります)。春のみの一季咲き、小輪、八重咲きで房咲きとなる白バラでした。
それが、ここでご紹介するロサ・ポリアンサ(R. polyantha)です。

この品種も今日では実株を見ることはできないようです。
このロサ・ポリアンサは、やがてフランス、リヨンのギヨ_息子(Jean-Baptiste A. Guillot fils)が入手することになりました。
1872年、ギヨ_息子は実生から小輪・八重、房咲きで、よく返り咲きする小さなブッシュとなる品種を育種し、パクレット(Pâquerette)と命名して公表することになります。

パクレットはバラ愛好家に広く受け入れられ、多くの品種の交配親となりました。それらの品種群は後日、新しいクラス、ポリアンサとなり、パクレットは最初のポリアンサとして記憶されることになりました。
実は、19世紀末から20世紀初めにかけてランブラーはより大輪花を咲かせるウィックラーナ系のものが育種の主流となり、ノイバラ系ランブラーは潮流から外れてしまっていました。
しかし、小輪・房咲きとなる一季咲きのノイバラ系ランブラーは不思議な経緯を経て、復権を果たすことになります。
それは、1896年、ドイツ、トリーアで70名もの従事者を擁する大規模なバラ圃場を経営していたペーター・ランベルトのもとへ、アルザス住まいのJ.R. シュミット(J. R. Schmidt:ファルヘンブラウを育種したエルフルトのシュミットとは別農場)が3種のノイバラ系ランブラーを持ち込んだ時から始まりました。
1896年、ランベルトはこの3種のランブラーの販売権を買取り、次のように命名して市場へ提供しました。
- アグライア(Aglaïa-淡いイエロー)
- タリア(Thalia-白花)
- ユーフラシーヌ(Euphrosyne-明るいピンク)
3種はセット物としてあつかわれ、ホワイト・ランブラー(タライア)、イエロー・ランブラー(アグライア)、ピンク・ランブラー(ユーフラシーヌ)と呼ばれることもあります。
三つの品種は、ギリシャ神話に登場する美と優雅さを象徴する三美神にちなんで命名されました。ボッティチェリの名画『春(Primavera)』のなかで描かれていることがよく知られています。

ボッティチェルリの名画『春/Premavera』において愛の女神ヴィーナスの横で優雅にダンスしている三人の女神は左から、アグライア、タりア、ユーフラシーヌです。
アグライア(Aglaïa)

3cmから7cm径ほどの小中輪、15弁ほどのカップ型の花が房咲きとなります。
花色はライト・イエロー。熟成すると退色しクリーミィ・ホワイトへと変化してゆきます。
350cmから500cm高さのランブラーとなります。
ロサ・ポリアンサとイエロー気味のアプリコットのノワゼット、レヴドール(Rêve d’Or)との交配により生み出されました。
後述のタリア、ユーフラスニーはともに春一季咲きの品種ですが、このアグライアのみは交配親に返り咲きするノワゼットが使われていることから弱いながらも秋の開花が期待できる品種です。
タリア(Thalia)

3cm径ほどの小輪、セミ・ダブル、平咲きの花がまるで花束であるかのように密集した房咲きとなります。
花色は純白。花芯のイエローのオシベの色合いにより全体としてはクリーミィ・ホワイトという印象がありますが、あまり例はないもののわずかにピンクが出ることもあるようです。
幅狭で尖り気味、明るい色調のつや消し葉は典型的なノイバラ系ランブラーだといえるでしょう。柔らかでほとんどトゲがない枝ぶり、250cmから350cmほど枝を伸ばします。
ロサ・ポリアンサと上述した最初のポリアンサ、パクレットとの交配により生み出されました。交配親の両品種とも小さなブッシュでしたが、大株となるノイバラの血が蘇ったのか、大きく成長するランブラーとなります。公表当初から絶大な人気を博し、単にホワイト・ランブラーという名前でも流通しました。
なんといってもこの品種の特徴はほとんどトゲが見られないということかと思われます。
ユーフラシーヌ(Euphrosyne)

3cm径ほど、セミ・ダブル平咲きとなる花形。密集して開花しまるで手毬のような房咲きとなります。
花色は淡いピンク。
この品種も幅狭で尖り気味の半照り葉。柔軟な枝ぶり、トゲの少ない枝を旺盛に伸ばし350cmから500cm高さのランブラーとなります。
ロサ・ポリアンサとギヨ_息子が1880年に育種・公表したポリアンサ、ミニョネット(Mignonette)との交配により生み出されました。
この品種もゲが少ないという利点を持っています。
三つの品種はいずれも、原種のノイバラではなく、ノイバラから生じた、小輪、房咲きで、小さなブッシュとなるロサ・ポリアンサを交配親としていました。
いずれの品種も、ランブラーの交配親となることはありませんでしたが、その血は、パクレットに見られるような小さなブッシュの交配に用いられたり、“ランベルティーナ”と呼ばれるランベルト作出のシュラブに受け継がれてゆきました。

アグライアを種親とした交配から生じたシュラブ、トリ―ア(Trier)は類を見ないほど美しいシュラブで一世を風靡しました。そして、ペーター・ランベルトはこのトリ―アを交配親として、ランベルティーナと総称される淡い色合いの小輪花、たおやかな枝を伸ばす、シュラブやランブラーを生み出してゆくこととなりました。
トリ―ア(Trier)

3cmから7cm径、セミ・ダブル、平咲きの花が枝いっぱいの房咲きとなります。
花色はクリーミィ・ホワイト、ときにわずかにピンクが筆で刷いたように入ることがあります。
幅狭で深い色合のつや消し葉。250cmから350cm高さの大きめのシュラブとなります。小さめのクライマー/ランブラーとしてトレリス、小さめのアーチやオベリスクなどへ誘引することもできます。
育種・品種名等の由来
1904年にランベルトにより公表されました。交配親については異論もありますが、一般的には、上述したアグライアと明るいピンクのハイブリッド・パーペチュアル、ミセス・R・G・シャーマン・クロフォード(Mrs. R.G. Sharman Crawford)との交配により育種されたと言われています。
耐病性があり、半日陰にもたえるじょうぶさ、また、当時としては画期的な返り咲く性質もある強健種です。英国のペンバートン(Rev. Joseph Pemberton)は、このトリーアを交配親として、下にリストアップした白や淡いイエロー、ピンクの中輪花を咲かせるシュラブを次々と生み出し、それがハイブリッド・ムスクと呼ばれる新しいクラスを生み出してゆくことになりました。
このトリーアこそ、これから解説するハイブリッド・ムスクの最初の品種だとする研究家もいます。Trierはルクセンブルグとの国境近く、ドイツ西端の古い都市の名前です。育種者、ランベルトの農場が所在地でした。
ハイブリッド・ムスクの誕生
ジョセフ・ペンバートンとベントール夫妻~ハイブリッド・ムスクの生みの親
ジョセフ・ペンバートン(Joseph Pemberton;1852–1926 )は英国英国バラ協会の会長に就くなど、長年バラ愛好家として盛名を馳せていましたが、1913年、長年ともに自宅バラ園の運営をサポートしていた妹フローレンス、ガーデナーのジョン&アン・ベントール夫妻らとともに新品種の育種に取りかかりました。このとき、ジョゼフは60歳を過ぎていました。
同年、ペンバートンは上述したシュラブ、トリーア(Trier)を交配親として、二つの新品種を公表しました。
- ムーンライト(Moonlight )
- ダナエ(Danaë )
ペンバートンは、この2品種につづき、数々の美しいシュラブを育種・公表してゆきました。これらの品種は、後に新たなクラス、ハイブリッド・ムスクと呼ばれるようになります。
ムーンライト(Moonlight )

5cmから7cm径、15から20弁前後、セミ・ダブルに近い、平型の花が、10輪を超える豪華な房咲きとなります。
クリームまたはライト・イエローの花色、花芯のイエローのオシベがアクセントになります。ムスク系の強い香り。
ウィックライアナの影響を思わせる、小さめの深い色の照り葉、柔らかな枝ぶり、180cmから250cm高さに達する、横張り性の強いシュラブとなります。
育種・品種名等の由来
1913年、ペンバートンにより育種・公表されました。ドイツのランベルトが育種した、トリーアとライト・イエローのティーローズ、スルフレア(Sulphurea)との交配により育種されました。交配親であるトリーアとの類似が著しいため、流通の過程で混乱が生じ、トリーアそのものも、ムーンライトという名前で流通した経緯があるようです。
ダナエ(Danaë )

9cmから12cm径、花弁数20枚ほど、浅いカップ型の花形、深いイエローのオシベがアクセントとなります。
花色はアプリコット気味のライト・イエロー、開花後色がうすまりクリーム色へと変化します。
180cmから210cm高さ、立ち性ですが、アーチングする優雅な枝ぶりのシュラブとなります。
育種・品種名等の由来
1913年、ペンバートンがトリ―アと赤い、HPグロワール・の グロワール・ド・シェダン・ギノワッソー(Gloire de Chédane Guinoisseau)とを交配させて育種しました。
ダナエはギリシャ神話で語られる女性。主神ゼウスに愛されて、男児ペルセウスを生むこととなります。ペルセウスは長じて偉丈夫となり、髪が蛇、顔を見た者は石に化すという魔女、メデューサを退治するなど、ギリシャ神話のなかでは、ヘラクレスにつぐ英雄となります。
ペンバートンにはじまるハイブリッド・ムスクについては別に機会に詳しく解説するつもりです。
その他のノイバラ系ランブラー
ノイバラ系ランブラーについて、以下のような系統をたどって来ました。
しかし、多くの庭園を飾っているものの、由来がよくわかっていないノイバラ系のランブラーも数多くあります。とくに近年に育種・公表されているランブラーは系統をまたがって交配されていて、どのクラスに分けたらよいか判然としない品種、あるいは、育種家が交配親を公表しないことから、詳細を追跡できないものなどが多くなってきています。
ここでは、カタエンシス系、ターナーズ・クリムゾン系、ポリアンサ系のいずれにもクラス分けすることが難しい品種をいくつかご紹介することとします。
ガーランド(The Garland)

3cm径ほどの小輪、セミ・ダブルまたはダブル咲きとなる花が房咲きとなります。
花色は白。わずかにクリーム色がかることが多いです。
300㎝から500㎝高さに達する大型のランブラーです。
育種・品種名等の由来
1835年、イギリスのウィリアム・ウエルズ(William Wells)により育種されました。種親をロサ・ブルノイイ(R. brunonii)、花粉をノイバラとする交配により生み出されたのではないかと言われています。
“The Garland”とは”花輪”の意。
ザ・ガーランドは、ターナーズ・クリムゾンとの交配によりブラッシュ・ランブラーを生み出したこと、すでに解説しましたが、その他にも人気の高いノイバラ系ランブラーのひとつ、マニントン・モーヴ・ランブラー(Mannington Mauve Rambler)の交配親のひとつではないのかとも言われています。
マニントン・モーヴ・ランブラー(Mannington Mauve Rambler)

3㎝から5㎝径の小・中輪、40弁ほどの小さな花弁がみっちりと詰まった、ポンポン咲きとなる花形。
モーヴ(藤色)あるいは淡いピンク気味のラベンダー!となる花色。
300㎝から500㎝高さに至るランブラーです。
育種・品種名等の由来
英国西部、ノーフォークにあるウォルポール卿の邸宅、マニントン・ホールの庭園で発見され、2007年に市場へ提供されました。いつ育種されたのか不明ですが、ランブラーとしては比較的最近に出回るようになった品種です。
アップル・ブロッサム(Apple Blossom)とドーソン(Dawson)

“アップル・ブロッサム(林檎の花)”という名前のランブラーです。
3㎝径ほどの小輪、シングル、平咲きの花が枝を覆いつくすようなみごとな房咲きとなります。
開花した直後は比較的はっきりとしたピンクとなりますが、すぐに退色して淡いピンクへと変化します。そのため、濃いと淡いピンクのグラデーションとなって、美しい花姿を堪能することができます。
細幅の明るいつや消し葉はノイバラの影響を強く感じさせます。350cmから500cmほどの高さなるランブラーです。
育種・品種名等の由来
この品種は1932年、アメリカのL. バーバンク夫人(Mrs. Luther Burbank)により、夫の没後、原種のノイバラとピンクの濃淡が出るノイバラ系のランブラー、ドーソン(Dawson)との交配により生み出されたとして公表され特許品種として登録されました。
しかし、ブルバンク夫人自ら、ハマナスとノイバラの交配によるのではないかというコメントを述べるなど、必ずしも由来がはっきりしていませんでした。
そして、実はこの品種はJ. ドーソン(Jackson Dawson)が1895年ころ育種・公表した品種と同じものであり、バーバンク夫人は夫の残したコレクションの中から間違って新品種として登録したのではないかと言われるようになりました。ドーソンが残した記録をたどると、交配親は、種親ドーソン、花粉ノイバラとのことですので、バーバンク夫人が最初に解説したとおりです。
種親とされるドーソンは、ピンクの濃淡が花弁に出る美しいランブラーで、アップル・ブロッサムとよく似た性質を示しています。

ブルー・マジェンタ(Bleu Magenta)

3㎝径ほど、30から40弁ほどのポンポン咲きまたは開き気味の丸弁咲きの花。花数は多いですが、あまり房咲きにはなりません。
300㎝から500㎝高さのランブラーとなります。
ノイバラ系ランブラーにクラス分けされるのが通常ですが、一般的なノイバラ系ランブラーに較べると枝が固めであること、また、小葉は厚めで照葉となり、他のクラスの品種の強い影響を感じさせます。
育種・品種名等の由来
1933年ころ、フランス、ロワーヌ地方に所在するグランデ・ロザレ・デュ・ヴァル・ド・ロワール(Grandes Roseraies du Val de Loier:“ロワーヌの大バラ園”)で育種されました。交配親の詳細は不明のままです。
ボビー・ジェームズ(Bobbie James)

5cm径前後、10弁前後のセミ・ダブル、平咲きの花が枝を覆いつくすような房咲きとなります。
花色はわずかにクリーム色気味のアイボリー、イエローのおしべがアクセントとなって、明るい印象を受けます。
ムスク・ローズ系の強い香りがします。
鋭くフックするトゲに覆われた固めの枝ぶり、350cmからときに700cm高さへ達するランブラーです。大株となることが多いノイバラ系ランブラーのなかにあっても、特質すべき大きさとなる品種です。白花ランブラーとしては、ウィックラーナ系、アルベンシス系などを含むランブラー全体を通しても、最高レベルにある品種だと思います。
育種・品種名等の由来
1961年、イングランドのサニングデール・ナーサリー(Sunningdale Nursery)より育種・公表されました。交配親の詳細は公表されていません。
イングランド北西部、ヨークシャーのセント・ニコラスに美しい庭園を築いたロバート(ボビー)・ジェームズを記念して命名されました。
ロール・ダヴー(Laure Davoust)
明るいピンク、ロゼッタ咲きの花が房咲きとなる美しいランブラー、ロール・ダヴー(Laure Davoust)は、ノイバラ系ランブラーにクラス分けされることがほとんどです。

ロール・ダヴーは、その美しさから、ピンク系のランブラーの頂点にあると言ってもよいかもしれません。しかし、同名ながら異なる性質の株が出回っていること、品種名の変遷など、育種の由来に疑問点があること等、疑問点が山積みであると感じています。
ここでは、あえて、ノイバラ系ランブラーとしては取り上げず、別の機会に詳細に検討したいと考え、ここではその美しさだけをお伝えするに止めたいと思います。