原種テリハ・ノイバラ
原種テリハ(照り葉)・ノイバラは、名前のとおり葉面の照りが特徴的です。国内ではおもに関東南部以西、海外では、中国東部、台湾、韓国など比較的温暖な地域の河岸、丘陵地などに自生しています。
原種名についてはかなり混乱がありました。今日ではロサ・ルキアエ(R. luciae)が正式名称とされていますが、別の原種とされていたロサ・ウィックラーナ(R. wichurana)と同じだ、いや、別種だと議論があって、かなりややこしいです。くわしくは後で整理することにしますが、テリハ・ノイバラを交配親にして生み出されたランブラーは一般的にはウィックラーナ・ランブラーと呼ばれていますので、ここではそれに従います。
ランブラーとクライマー
バラの樹形はおおざっぱに分類するとブッシュ、シュラ、クライマーそしてランブラーの四つに分けることができます。300cm高さを超えるなど大株になる品種はクライマーまたはランブラーに分類されます。
ランブラーとクライマーの区別は中間的な性質を示す品種も少なからずあるのではっきり分けることがむずかしいというのが実情です。なかにはランブラーとされたり逆にクライマーとされたりするカテゴリー分けに困る品種もあります。
| 分類 | 高さ | 枝ぶり | 花の大きさ | 返り咲き |
|---|---|---|---|---|
| ランブラー | 300~600cm or over | 細く、柔軟、しだれる | 小輪または中輪、房咲きとなることが多い | ほとんどが春一季咲き |
| クライマー | 300~600cm or over | 太く、固く、直立する | 中輪または大輪、単独咲きが多い | 一季咲きが多いが、返り咲き種もある |
テリハ・ノイバラ/ロサ・ウィックラーナ(Rosa luciae/wichurana)

3cm径ほどの小輪、シングル・平咲きの花が房咲きとなります。日本における代表的な野生種であるノイバラとの比較では花径は多少大きいものの房の花数は少なめであることが多いというところでしょうか。
花色は白。
強い香り。
名前にふさわしい、丸みを帯びた小さめの照り葉。フックした鋭いトゲが特徴的な枝ぶり、這うように枝に伸ばし、しばしば500cm高さを越える大株となります。
原生地など
中国東部、台湾、韓国、日本の南西部など比較的温暖な地域の河岸、海岸、丘陵地などに自生していますが、日本ではノイバラほど広汎に見られるわけではありません。
19世紀末から20世紀初頭、米国を手始めにヨーロッパ各国においてランブラー/クライマーの交配親として大々的に利用されました。はじめはロサ・ウィックラーナ(R. wichurana)あるいはロサ・ウィックライアナ(R. wichuraina)と呼ばれていたことから、この品種を交配親とするランブラーやクライマーは新クラス、ハイブリッド・ウィックラーナ(ウィックライアナ)とされ今日まで数多くの美しい品種が伝えられています。
ヨーロッパへもたらされた経緯と学名の変遷
仔細にわたりますが、学名の由来をたどってみましょう。
ヨーロッパへ渡った経緯①~ウィックライアーナ/ウィックラーナ
はじまりは幕末から明治維新にかけての動乱の時代。
1859年(安政6年)、徳川幕府は下田、横浜、長崎、函館を開港し、英・米・仏・蘭・露の5か国と交易を開始しました。
各国はさっそく訪問団を派遣しました。そのうち、プロシャ訪問団のなかにマックス・E・ヴィックラ(Max Ernst Wichura:1817‐1866)という法曹家がいました。ヴィックラは法律だけではなく植物学も学んでおり、琉球、長崎、函館と順繰りに港をめぐるあいだに植物蒐集も行いました。
蒐集した植物のなかにあったのがテリハ・ノイバラでした。訪問団は4か月後に帰国しましたが、ヴィックラはおそらく長崎においてテリハ・ノイバラの生体を入手したのではないかと思います。
しかしこの生体は根付くことなく枯れてしまったようです。(テリハ・ノイバラが改めてヨーロッパへ渡った経緯はいくつかの説がありますが、ここでは割愛します)
この原種バラは1886年(1884年説も)、著名な植物学者でベルギー国立植物園を指導していたフランソワ・クレパン(François Crépin:1830-1903)によって原種ロサ・ウィックラーナとして同定されました。
ヨーロッパへ渡った経緯②~ルキアエ
ところが、これに先立つ1871年、クレパンはよく似た原種ロサ・ルキアエ(R. luciae)をすでに新品種として発表していました。クレパンはルキアエとウィックラーナの類似には気付いていましたが、形態に明瞭な違いがあるとして別原種だと判定したようです。
このルキアエがヨーロッパへもたらされた経緯は次のように伝えられています。
1860年、幕府勘定奉行であった小栗上野介は鋼製戦艦の国産をもくろみ当時幕府を援助していたフランス政府へ助成を依頼しました。フランスはこれに応じて技術顧問団を派遣、1866年に横須賀に造船所が造成され、すみやかに建造が開始されました。

‘1910年の浦賀船渠-横須賀造船所に近在の造船所’ Photo/[Public Domain via. Wikipedia Commons]
このフランス技術顧問団のなかに団員および近在のフランス人を健診する軍医ポール・アムディ・ルドヴィック・サヴァティエ(Paul Amedee Ludovic Savatier)がいました。
サヴァティエも熱心な植物蒐集家でもあり1867年から1878年の滞在のあいだに15,000種を超える植物をフランスの植物学者エイドリアン・R・フランシェ(Aidrian Rene Franchet:1834-1900)の元へ送りました。この中に含まれていたバラはフランシェからベルギーのクレパンの元へ回送されました。
1871年フランシェは新品種と思われるバラをロサ・ルキアエ(R. luciae)と命名しました。サヴァティエ夫人ルーシー(Lucie)にちなんだ命名です。同年、クレパンはこれが新品種であると同定しました。
正しい学名は?~ウィックライアーナ、ウィックラーナそれともルキアエ
時がたつと、この2原種は同じものではないかという声が高まってきました。
日本の著名な植物学者である小泉源一氏(1883-1953)は両品種を再評価し、1917年、ウィックラーナはルキアエの変種として同定しました。これにより、ウィックラーナはロサ・ルキアナ・ヴァリエガータ・ウィックラーナ(R. luciae var. wichurana ( Crép.) Koidz.)が正式な学名とされました。しかし、後に植物分類学の権威である大場秀章氏は、ウィックラーナはルキアエの別名であることを文献の精査およびゲノム検査を経て確認したと論述しました。
結論としては、テリハ・ノイバラの正式学名はロサ・ルキアエ(Rosa luciae)です。ロサ・ウィックラーナ(Rosa wichurana syn. luciae)は異名として扱われます。
それでも終わらない品種名ウィックラーナへのこだわり
これで混乱は解決されたかと思われるのですが異論が出ています。
”ウィックラーナ”の発見者ヴィックラ氏は日本から帰国後、当時ヨーロッパにおける代表的な植物商であった英国のヴェイチ商会にやわらかな枝ぶりで大株となる原種バラの存在を知らせました。
ヴェイチ商会はさっそくミッションを日本へ送って入手、持ち帰ったこの原種バラをロサ・ウィックラーナとして市場へ供給するようになりました。しかし、ヴェイチ商会を訪れたヴィックラがこの品種を見たとき、「これは自分が日本で見たものとは違うものだ」と断言しました。
それを受けてヴェイチ商会は2度目のミッションを日本へ送り改めてヴィックラが見た原種を入手しました。ヴェイチ商会はこれを改めてウィックラーナとしてヨーロッパ市場へ供給しました。
この記事はアメリカの植物商であったJ. H. ニコラス(J. H. Nicolas)が1937年に刊行した『ア・ローズ・オデッセイ(A Rose Odyssey)』のなかで述べていることです。
ニコラスは世界各地の育種農場を訪ね歩き育種家のエピソードなどを紹介しています。著作は学術的なものではなく、バラにまつわる歴史をたどる旅行記のようなものですが、彼は両方の原種をパリ近郊の植物園で実際に見聞した際に聞かされたエピソードだと前置きしています。
ニコラスの記述はこのエピソードを確かなものにするためさらに続けます。
1900年、フランスのバルビエール兄弟(Albert et Eugene Barbier)はホバース、マイケル・ウォルシュなど米国のバラ育種家を訪問しましたが、彼らがこぞってウィックラーナ・ランブラーの育種を競い合っていることに強い感銘を覚えました。兄弟は帰国後すぐに英国のヴェイチ商会からロサ・ウィックラーナを入手し育種に邁進しました。
アルベルティン、フランソワ・ジュランヴィルなどのウィックラーナ・ランブラーの名品種が生み出されたのがその成果です。しかし、兄弟が入手したウィックラーナはヴェイチ商会が第1回のミッションで入手したものだったとニコラスは理解していました。
バルビエール兄弟が育種したウィックラーナ・ランブラーの多くは紅色の美しい新芽が特徴的です。これらはホバース、ドクター・W・ヴァン・フリート、ジャクソン・ドーソン、マイケル・ウォルシュなどが育種したウィックラーナ・ランブラーとは明らかに異なる特徴を有しています。
ニコラスはウィックラーナとルキアエは違う品種であり、紅色の新芽はルキアエの特徴だと思っていたようです。
英国のバラや庭園史の研究家として知られるクエスト=リットソン(Charles Quest=Ritson)氏もウィックラーナとルキアエは異なる品種だと述べています。ルキアナをウィックラーナと比べると、花径はルキアエのほうが小さく3㎝径を超えることはない、また小葉は5から7葉で9葉になることはないと違いを強調しています。(“Climbing Roses of the World”, 2003)
また、フランスのバルビエールル兄弟はアメリカ訪問後、ウィックラーナ・ランブラーの育種を始めたというのが通説でしたが、兄弟が新品種を公表した時期は、アメリカの育種者たちとほぼ同じですので、兄弟がアメリカの育種家たちを訪問したのは事実でしょうが、すでに彼らはウィックラーナ・ランブラーの育種競争に参入していたと見るべきだという解説があります。当を得たものだと思います。
まったく、なにがどうなっているのか、よくわからないままですが、19世紀末から、アメリカ、フランスから美しい大輪ランブラーがつぎからつぎへと生み出されたという事実をもって、クラスのはじまりとしたらいいのではないかと思います。
ウィックラーナかウィックライアナか
なお、ウィックラーナについてウィックライアナ(wichuraiana)と表記することもあり、むしろそうした例のほうが多いのですが、クエスト=リットソン氏は、ヴィックラ(Wichura)氏にちなむのであるから、ウィックライアナという呼称は間違いだと指摘しています。ここでもそれに従い、ウィクラーナを名称の正としました。
テリハ・ノイバラの正式学名がロサ・ルキアエであるならば、この原種をもとに生み出されたランブラーはルキアエ系ランブラーと呼ぶべきなのでしょうが、すでにウィックラーナあるいはウィックライアナと呼ばれるのが一般化していますので、これらの品種群(クラス)はウィックラーナと呼ぶことにしています。
ウィックラーナ・ランブラーのはじまり
1888、9年、クレパンによって原種が、ヨーロッパへ紹介されてから20年を越える空白の後、ウィックラーナ交配種が続けざまに市場へ提供されました。舞台はアメリカです。さらにフランスがこれに加わり、堰を切ったかのように美しい品種が生み出されてゆきました。
今日まで愛され続けている主な初期品種はつぎの4種です。
| 品種名 | 特徴 | 交配親など | 育種家 |
|---|---|---|---|
| メイ・クィーン(May Queen) | 明るいピンク、3㎝から5㎝径、 350から500㎝となるランブラー | 種親:ウィックラーナ 花粉:マダム・ド・グロー or チャンピオン・オブ・ザ・ワールド | W. ヴァン・フリート or W.A.マンダ |
| ドクター・ヴァン・フリート(Dr. van Fleet) | シルバー・シェイドの明るいピンク、 9cmから11cm径、350cmから500cmとなるクライマー | 種親:無名種(ウィックラーナとピンクのチャイナ・ローズ、サフラノとの交配によるもの 花粉:スヴェニール・デュ・プレジダン・カルノ | W・ ヴァン・フリート |
| ガーデニア(Gardenia) | 淡いイエロー、7cmから9cm径、 350cmから500cmとなるランブラー | 種親:ウィックラーナ 花粉:ペルル・デ・ジャルダン | M.H. ホバース |
| ウィリアム・C・イーガン(William C. Eagan) | シェル・ピンク、7cmから9cm径、 240cmから350cmとなるクライマー | 種親:ウィックラーナ 花粉:ジェネラル・ジャックミノ | J・ドーソン |
メイ・クィーン(May Queen)

3㎝から5㎝径、小輪または中輪、浅いカップ型、少し乱れ勝ちなロゼッタ咲きの花形となります。
花色は明るく、少し藤色(モーヴ)気味の明るいピンク。花弁の縁は退色して淡い色合いとなり、実に優雅です。
フルーティな強い香りがします。
とがり気味、深い色合いの照り葉。柔らかな枝ぶりの350cmから500cmまで枝を伸ばすランブラーです。
育種の経緯など
1898年または1899年、アメリカで育種・公表されたとされています。じつは育種者、交配親については二説あって、どちらが正しいのか、あるいは、あまり例がないことですが、ふたつの品種が同一名で同じ年に公表されたのかもしれないとされています。
ひとつはアメリカのW. ヴァン・フリート(Dr. Walter van Fleet)がウィックラーナを種親、花粉親を濃いピンク花のブルボンマダム・ド・グロー(Mme. De Graw)としたもの。
ふたつめは、やはりアメリカのW.A.マンダ(W. Albert Manda)がウィックラーナを種親、花粉親にピンクのブルボン、チャンピオン・オブ・ザ・ワールド(Champion of the World)を用いたとされる説です。
ドクター・ヴァン・フリート(Dr. van Fleet)

9cmから11cm径、丸弁咲きまたはオープン・カップ形の花が伸びた枝先に房咲きとなって咲きます。
シルバー・シェイドの明るいピンク。蜂蜜のような甘い香り。
幅広でまるみを帯びた、深い色合いの葉。大きなトゲが目につく、ほどほどの固さの、まっすぐに伸びる枝ぶり。350cmから時に500cmまで伸びるクライマーです。春一季咲きであること、また、育種の系統からウィックラーナ・ランブラーとしてクラス分けされることのほうが一般的となっていますが、樹形からはクライマーとするべきだと感じています。
暑さ寒さに強く、耐病性もあり、半日陰にもよく耐える強健種です。今日の返り咲きするクライマーの元品種となったニュー・ドーン(New Dawn)はこのドクター・ウォルター・ヴァン・フリートからの枝変わり種です。
育種の経緯など
1898年または1899年、W・ ヴァン・フリート(Dr. Walter van Fleet)により育種され、1910年、ピーター・ヘンダーソンより市場へ提供されました。
種親: 無名種(ウィックラーナとピンクのチャイナ・ローズ、サフラノ(Safrano)との交配によるもの)
花粉: スヴェニール・デュ・プレジダン・カルノ(Souv. du Président Carnot)
公表当時はデイブレーク(Daybreak)と呼ばれていましたが、偉大な育種家、ヴァン・フリート本人の名を冠するように変わりました。(ヴァン・フリート本人はこの変更にあまり乗り気ではなかったようです)
ウォルター・ヴァン・フリート(Dr. Walter Van Fleet :1857-1922)
ドクター・ウォルター・ヴァン・フリート(Dr. Walter Van Fleet :1857-1922)は、米国ハドソン、ピエモントにおいてオランダ系移民の子孫の家庭に生まれました。
医術を学び医師となりましたが、バラ育種への情熱から医師を辞め、その後の人生をバラ育種へ捧げました。
1905年から1922年の没年までメリーランド州グレンデールにあった米国農産物導入局(US Department of Agriculture Plant Introduction Station)に勤務し、ウィックラーナ・ランブラーを最初に公表したという輝かしい功績に加え、米国北部地域の寒冷な気候にも耐えるじょうぶな品種を育成することを目標として耐寒性のつよいハマナスを交配の多くに用いたことで知られています。
W.A.マンダ(W. Albert Manda:1862-1933)
ウィリアム・アルバート・マンダ(William Albert Manda:1862-1933)はチェコスロバキア・プラハの近郊に生まれ、長じて園芸学を学び、ヨーロッパ向けの植物を入手する目的でアメリカへ行き、そのまま定住することになりました。
1883年、ハーバード大学植物園の学芸員に就任。5年間同園に在籍した後、ジェームズ・R・ピッチャー(James R. Pitcher)と共にニュージャージー州ショートヒルズにピッチャー&マンダを設立し、園芸植物の育種と販売を行いました。
1895年、共同経営は終了しマンダはニュージャージー州サウス・オレンジにザ・ユニバーサル・ホルティカルチュラル・エスタブリッシュメントという会社を設立。この会社は後に「W.A. マンダ社」と改名されました。
マンダにより育種されたとするウィックラーナ交配種がいくつか残されていますが、M.H. ホーヴァートにより育種された新品種の販売も行っていますので、育種と販売、両方に従事していましたと言えます。
そのため、いくつかの品種はマンダにより育種されたのか、あるいはホーヴァートなど別育種家により育種された品種なのか、判明しがたいものも生じています。
ガーデニア(Gardenia)

7cmから9cm径、30弁ほど、乱れがちな丸弁咲きまたはカップ型となる花形。
淡いイエローの花色、わずかに霞にようにピンクがのることもあります。花芯は濃い色合となり優雅です。成熟するにしたがい、クリーミィ・ホワイトへと変化します。
強く香ります。
とがり気味の照り葉。細い枝ぶりの、350cmから500cm高さにおよぶランブラーとなります。
小皿を重ねたようなダブル、平咲きになることが多い花形、淡いイエローの花色、わずかに霞にようにピンクがのることもあります。
優雅に垂れ下がる枝ぶり、その枝を飾る清楚な花など、ランブラーの典型のようなこの品種は現在でもその価値は失われていません。
育種の経緯など
1898年または1899年、アメリカのM.H. ホーヴァート(Michael H.Horvath)により育種・公表されました。
種親にウィックラーナ、花粉親にライト・イエローのティー・ローズ、ペルル・デ・ジャルダン(Perle des Jardins)が用いられ、W. A. マンダ(W. A. Manda)を通じて公表されました。
このガーデニアが大輪系ランブラーのはじまりと言ってよいと思います。この品種の人気が後に多くの美しいランブラーを生み出すきっかけとなりました。
M.H. ホーヴァート(Michael H.Horvath:1868-1945)
1868年、ハンガリーのセゲト(Szeged)に生まれ育ったホーヴァートは1890年、アメリカへ移住。その時はすでに修練を積んだ森林警備隊員でした。西海岸のオハイオ州クリーブランドの公園などでの仕事についたのち、バラの育種にいそしむようになりました。
HTなどの大輪種ではなくランブラーの育種に熱心に取り組み、1857年に開催されたアメリカ・バラ協会主催の展覧会においてウィックラーナ・ランブラー14種を展示し、その斬新さが注目を浴びました。
ホーヴァートは後、北米原産の原種ロサ・セティゲラを交配親とするランブラーを交配親として育種に取り組むようになりました。耐寒性に問題が生じがちなウィックラーナ・ランブラーの弱点をカバーする目的があったからだと思います。
その成果は1934年、白花ランブラーの至宝ロング・ジョン・シルバー(Long John Silver)として実現されました。
ウィリアム・C・イーガン(William C. Eagan)

7cmから9cm径、50弁を超える多弁。芯近くの花弁が内側に湾曲して密集する、ロゼッタ咲きの花形となります。春は多くの花がいっせいに開花し、3輪から5輪ほどの小さな房咲きとなります。
暖かみを含んだような淡い、シェル・ピンクの花色。
強く香ります。
幅広、深い色合の照り葉。比較的柔らかな枝ぶり、240cmから350cm高さのクライマーとなります。
育種の経緯など
1900年、アメリカのJ・ドーソン(Jackson Dawson)により育種・公表されました。
種親にウィックラーナ、花粉親にクリムゾンのハイブリッド・パーペチュアル、ジェネラル・ジャックミノ(Général Jacqueminot)が使われました。
ドーソンは19世紀末、米国ハーバート大学付属のアーノルド植物園の庭園長として、意欲的なバラ育種をしたことで知られています。
初期には、テリハ・ノイバラやノイバラと既存の大輪品種との交配による、ランブラーやクライマーの育種に注力し、そのもっとも初期の成果がこのウィリアム・C・イーガンでした。
淡いピンクのロゼッタ咲きのこの品種は、ブルボンの名花スヴェニール・ド・ラ・マルメゾンを一回り小さくして房咲きのクライマーにしたような美しさであったため、多くの注目を集め、その後のウィックラーナ系のランブラー/クライマーの育種熱に火を付けたかたちとなりました。
ジャクソン・ドーソン(Jackson T. Dawson:1841 – 1916)
ドーソンは英国イングランド・ヨークシャー州のイースト・ライディング(East Riding)に生まれ、幼いころに母親に連れられてアメリカへ移住。8歳のころには叔父の圃場で園芸にかかわっていたとのことです。
1873年、米国ハーバート大学付属のアーノルド植物園(The Arnold Arboretum of Harvard University)の庭園長として、意欲的なバラ育種をしたことで知られています。初期には、ウィックラーナやノイバラと既存の大輪品種との交配による、ランブラーやクライマーの育種に注力し、そのもっとも初期の成果がこのウィリアム・C・イーガンでした。
ウィリアム・C・イーガンはドーソンの依頼によりこの品種の試験的な栽培を行った園芸家とのことです。(Benjamin Whitacre, ”Filing A Missing Rose Claim: Jackson Dawson and the Arnold Rose”)


