バラ、特にオールドローズが好きで名前の由来や育種の経緯などを調べています。
宿根草や葉色が美しい草花や灌木などをアレンジしたバラ咲く庭を愛でるのも長年の夢です。

イネス・ド・カストロ(Inès de Castro)

どんなバラ?

淡いピンク花のケンティフォリアという記録がありますが、実株の入手は困難になってしまっているようです。、SNS上で検索しても画像を見つけることができませんでした。
品種名はポルトガル王が寵愛した”白鷺のうなじ”と讃美された女性にちなんだものです。

ルイ・パルメンティエ作出。
淡いピンク、大輪の多弁花のケンティフォリア。馥郁たる香りを放っているのだろうと想像します。観察したくてもできないのは本当に残念です。

品種名である”イネス・ド・カストロ”はヨーロッパにおいて深く愛されている物語のヒロインです。
日本では馴染みは薄いですが、ヨーロッパでは深い愛の物語として、文学、絵画、音楽の題材として繰り返し取り上げられています。
2009年、宝塚歌劇団星組によりミュージカル『コインブラ物語~ペドロとイネスの物語』として公演されましたが、その後再演はされていないようです。

品種名にちなんだ物語

イネス・ド・カストロ(Inès de Castro)
“命乞いするイネス(部分)” Painting/Eugénie Servières, 1810 [Public Domain via Wikimedia Commons]

14世紀、ポルトガル王国でのこと。

ポルトガル王国の王太子ペドロのもとに、カスティーリャ王族の息女コンスタンサが嫁ぐことになりました。婚礼に向かって旅するコンスタンサに同行いていたのが、物語のヒロイン、イネスでした。イネスは王太子妃となるコンスタンサの侍女でした。

ところが王太子ペドロはコンスタンサよりもイネスを深く愛するようになってしまいました。ペドロは王太子妃コンスタンスとの間にも子息を設けていましたが、イネスと間にも3人の子もがありました。やがてコンスタンスは病を得ては死去してしまいます。

これを機にペドロはイネスを王太子妃にしようとします。しかし、カスティーリャ王国との友好関係に気遣う父王アフォンス4世はそれを阻止。イネスには刺客が放たれ、殺害されてしまいました。
これを知ったペドロは父王への叛乱を起こします。その叛乱はペドロの母である王妃ベアトリスのとりなしで和解となり、いったん追放されていたペドロは王太子に復帰することになりました。

父王の死去後、ポルトガル王となったペドロ(ペドロ1世)は、イネスの遺体を掘り起こして玉座に着け、家臣たちにイネスの遺体の手に接吻し、忠誠を誓わせました。その儀式を終えるとイネスは王妃として改めて葬られることになりました。

“イネスの遺骸への臣従(Le Couronnement d’Inès de Castro )” Painting/Pierre Charles Comte, 1849 [Public Domain via Wikimedia Commons]

イネスはこのことにより「死せる王妃」と呼ばれることもあります。(”イネス・デ・カストラ” Wiikipedia, 2024.10.28 検索)