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バラ、特にオールドローズが好きで名前の由来や育種の経緯などを調べています。
宿根草や葉色が美しい草花や灌木などをアレンジしたバラ咲く庭を愛でるのも長年の夢です。

バラの物語~レディ・エマ・ハミルトン

レディ・エマ・ハミルトン(Lady Emma Hamilton)

9cmから11cm径、フォーマルなカップ型、ロゼッタ咲き。
オレンジまたはコーラル(珊瑚色)となる花色。気候や環境により濃淡が出やすいようです。つぼみの先端などに濃いオレンジ・レッドが入り、それが開花した後に残り、花弁の外縁などに色濃く染まることもあります。
フルーティな強い香り。
銅色が縁に出る、深い色合の幅広の葉、細い枝ぶり、120cmから180cm高さのこんもりとした中くらいのサイズのシュラブとなります。

育種者、命名の由来など

2007年、ディヴィット・オースチン農場から育種・公表されたイングリッシュ・ローズです。交配親は公表されていません。
この品種は1805年、英仏間で勃発したトラファルガー海戦の200周年を記念したものです。品種名が女性であるのには以下のような背景があったことによります。

トラファルガー海戦、ホレーショ・ネルソン提督そしてレディ・エマ・ハミルトン

1805年、抗争を続ける英仏。ナポレオンは英国侵略をもくろみ艦船を派遣、トラファルガー沖でフランス艦隊とこれを迎え撃つ英国艦隊が激突しました。英国軍を指揮していたのは卓越した指揮官であるホレーショ・ネルソン(Horatio Nelson:1758-1805)でした。
ネルソン提督は”ネルソン・タッチ”と呼ばれる奇襲でフランス艦艇を撃破、ネルソンは戦闘中に戦死しましたが、この海戦以後一世紀にわたって英国海軍がヨーロッパ海域で優位性を保持しました。

”The Battle of Trafalgar”, Mallord William Turner, 1806

実はレディ・エマ・ハミルトンはネルソン提督の愛人でした。以下のようこんがらがった事情があるのですが、英国人ならだれでも知っていることのようです。

エマ・ハミルトン(Emma Hamilton:1761-1815)は、18世紀後半、ロンドン社交界で美貌の公娼、モデルとして名を馳せた女性です。後にハミルトン卿と結婚しました。結婚後にネルソン提督と出会い、熱烈なロマンスで後々までくり返し語られることになりました。

“Emma Hart as Circe”, George Romney, ca.1782

エマが少女時代にメイドなどで働きはじめたのは、寡婦である母の貧窮ゆえのことでした。仲良しとなったジェーンが女優志望であったころから、彼女も女優をめざすようになり劇場でポーズをとったり、ストリップティーズなどで生活の糧を得ていましたが、その美貌が評判を呼び多くの画家のモデルともなりました。

エマは15歳のときにはハリー・フェザーストンホー卿(Sir Harry Featherstonhaugh)の愛人として彼の別宅に連れてこられていましたが、その館でまだ幼年のチャールズ・フランシス・グレヴィール(Charles Francis Greville)と友達になりました。
彼女はハリー・フェザーストンホー卿の許を離れますが、そのときにはグレヴィールの愛人となっていました。しかし、エマより10歳以上年少だったグレヴィールにとってエマとの生活は経済的に負担が大きく、彼はエマを叔父のウィリアム・ハミルトン卿(Sir William Douglas Hamilton:1730-1803)へ押し付け、自分は他に持参金付きの令嬢を結婚相手として探そうともくろみました。

外交官としてナポリに滞在していたハミルトン卿はエマより30歳以上も年上でしたが、彼女は美しいだけではなく、機知に富んだ魅力あふれる女性だったようです。独身であったハミルトン卿は5年後の1791年、エマを正式に妻として迎えました。この結婚により、エマはレディ・ハミルトンとなりました。卿60歳、エマ26歳でした。

結婚から2年後の1793年、エマはナポリで、フランス包囲網構築のためにこの地へ来ていた、ネルソン提督と運命的な出会いをします。

“Rear-Admiral Sir Horatio Nelson”, Lemuel Francis Abbott, 1799

5年後、ネルソンは再びナポリを訪れ、エマと再会しました。しかし、彼はナイルの海戦でフランス艦隊を壊滅させた戦功などにより猛将としてフランス海軍を震え上がらせていましたが、数度の戦闘により、右目の視力を失い、右腕もなくしていました。しかし、様変わりしてしまったネルソンとエマは恋に落ち、それから、ネルソンが死去するまで、夫のウィリアム・ハミルトン卿、ネルソン夫人のフランシス・ニズベット(Frances “Fanny” Nisbet)との間の不可思議なほどの友愛的な関係ができあがります。

ナポリからイギリスへ帰国した後、エマはウィリアム・ハミルトンの元を離れ、ネルソンと同棲しはじめましたが、出征を重ねるネルソンは留守がちであり、エマはふたりの間に生まれたホレーシアという娘と寂しい毎日を送ったようです。ことに、夫ウィリアムに先立たれ、ネルソンがトラファルガー海戦で華々しい戦死を遂げた1805年の後は零落し、貧窮のうちに死去したと伝えられています。

エマ、ネルソン提督、そしてエマの夫ハミルトンとの不可思議な三角関係は、1941年にはエマ役にヴィヴィアン・リー、ネルソン役にローレンス・オリビエで映画『美女ありき(Lady Hamilton)』となりました。絶頂期のヴィヴィアン・リーの美しさをご堪能ください。なぜか、ウィンストン・チャーチル(Sir Winston Churchill:1758-1965)はこの映画をこよなく愛し、幾度も鑑賞しその度に涙に暮れたと伝えられています。
また、アメリカの人権活動家であったスーザン・ソンタグ(Susan Sontag:1933-2004)は活発な政治活動の一方でいくつかの小説を残していますが、エマ、ネルソンおよびハミルトン卿の関係を題材にした歴史小説『火山に恋して(The Volcano Lover)』を残しています。タイトルはハミルトン卿が火山への科学的興味からベスヴィウス火山などの現地調査を行っていたことからきているようですが、もちろん”火山”のような女性、エマとの連想からつけらられたものだと思われます。

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