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バラ、特にオールドローズが好きで名前の由来や育種の経緯などを調べています。
宿根草や葉色が美しい草花や灌木などをアレンジしたバラ咲く庭を愛でるのも長年の夢です。

バラの物語~武勲詩、騎士物語

ヨーロッパには騎士と魔物やなどとの闘いを描いた武勲詩、また、貴婦人との恋を語る騎士物語が数多く伝えられています。今回は古い言い伝えに題材にした物語をふたつご紹介します。

ロベール・ル・ディアーブル(Robert le Diable)

Robert le Diable

7cmから9cm径、はじめロゼッタ咲き開いた花はすぐに乱れ、不定形な丸弁咲きとなります。
パープル・シェイド気味のカーマインあるいはバーガンディとなる花色。葡萄酒を薄めたような印象を受ける花色です。熟成するにしたがい次第に淡色へと変化し班模様がでたり、外輪部だけ色褪せたりと変化してゆきます。
強い香り。
くすんだ、深い色のつや消し葉が大きな特徴です。120㎝高さほどの小さなブッシュとなります。

育種者、命名の由来など

じつは、この品種の由来には謎があります。

現代中国史の研究家であるフランスのフランソワ・ジョワイオ教授(Prof. Francois Joyaux)はオールドローズの研究家としても著名な方ですが、その著作『ラ・ロズ・ド・フランス(La Rose de France)』(1998)のなかで、
「1837年までフランスでは見られなかった品種だ…おそらく、オランダあるいはベルギーからもたらされたものだろう」
と解説し、さらに托葉、萼片などからケンティフォリアの性質が濃いとも記述しています。

また、ジョワイオ教授よりも前の時代のバラ研究家であるトーマス・リヴァース氏(Thomas Rivers)はその著『バラ初心者向けガイド(The Rose Amateur’s Guide)』(1837)のなかで、
「明るく、コンパクト・サイズのダブル咲き…」と解説しています。この記述はジョワイオ教授が解説するカーマインの花色のものといちじるしく違います。

このことから、もともとは明るいピンク、ダブル咲きのガリカであったバラ、“悪魔のロベール”は、1850年ころ、深い色合いのケンティフォリアにすり替わったのではないかと言われています。また、この品種はここで表示した画像よりもさらに深く色づくこともあり、名前にふさわしく“悪魔的”に変化したりすることもあります。

オペラ『悪魔のロベール(Robert le Diable)

ドイツの作曲家ジャコモ・マイアベーア(Giacomo Meyerbeer:1791 – 1864)はドミニコ派の修道僧が伝える説話をもとにしてオペラ、『ロベール・ル・ディアーブル(悪魔のロベール)』を作曲しました。このオペラは1831年、パリ・オペラ座で初演を迎えました。初演から空前の大成功をおさめ、10年間で230回を超える公演がもよおされたとのことです。

こんな物語です。

フランス、ノルマンディー公国を統治する公爵は男子の嫡子が得られず、そのため娘を嫁がせた王子との間に生まれた孫ロベールに爵位をつがせました。しかし、成長したロベールは成長するにしたがい、次第に残虐な性格をあらわすようになり、庶民を殺害するなど非道な行いを繰り返しました。
ちまたでは嫡子に恵まれなかった母親が悪魔ベルトランと交わって授かった男児だと噂し、かれを悪魔の息子”悪魔のロベール”と呼ぶようになりました。その噂はやがてロベール自身の耳に届くことになりました。
悪評に苦しむロベールはシチリアの王女イザベルに恋焦がれ乱行を繰り返します。その彼と常に同行していたのが、悪友ベルトラン(実は父である悪魔)でした。

ベルトランにそそのかされて姿を隠す魔法の枝を手に入れたロベールは悪行を重ね、王女イザベルを誘惑しますがイザベルは乱行が止まないロベールを恐れ彼に従いません。自暴自棄となったロベールは魔法の枝を砕いてしまい、シチリアの騎士たちに追われる身となってしまいます。

終幕である第5場、追われるロベールとベルトランが教会の中庭に逃げ込んできます。
ここでベルトランが実は自分が父であり悪魔であると告白します。彼はロベールを愛し、ともに地獄へゆこうと迫ります。
そこへロベールの幼馴染であるアリスが現れ、誘惑する父に従ってはならぬという母の遺言を告げ、王女イザベルはロベールを待っていると伝えます。
地獄行きの契約を迫るベルトラン、とどまるよう懇願するアリス、惑い悩むロベール。多くのオペラ愛好家が絶賛する三重唱『なにを成すべきか?(Que faut-il faire ?)』は大団円を迎えるにふさわしい名曲だと思います。

ブランシェフルール(Blanchefleur)

‘Blanchefleur’ Photo/Pascale Hiemann [CC BY SA-3.0 via Rose-Biblio]

花径は9cmから11cmほど、浅いカップ型、ロゼッタ咲きとなります。
淡いピンクに色づいていたつぼみは開くとクリーム色となったり、中心部がピンクに染まったりします。中心にみどりの目ができることが多く、オールド・ガーデン・ローズの美しさを満喫することができます。
甘い、強い香りがします。
楕円形の、明るい色合のつや消し葉。高さ120cmから180cmほどの立ち性のシュラブとなりますが、枝ぶりが細いので、花の重みで枝はアーチを描きます。

育種者、命名の由来など

1835年、フランスのジャン=ピエール・ヴィベール(Jean-Pierre Viber:1777-1866)により育種・公表されました。花形、葉や葉柄、茎の様子からケンティフォリアであることは明らかですが、交配の詳細はわかっていません。

“ブランシェフルール”とは「薄ピンク花」というのが文字通りの意味ですが、変な名前だなと長い間感じていました。最近になってようやく、“ブランシェフルール”はフランスの騎士物語に登場するヒロインだということを知りました。

古い伝説譚ですのでいくつか違う筋書きのものがありますが、いちばんポピュラーなのはつぎのような物語でしょう。

フロリスとブランシェフルールの物語

スペインにイスラム教国がいくつもあった時代、そのうちの一国、アルアンダスの王であるフェリックスはキリスト教の聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラへ向かう巡礼団を襲撃しました。

この巡礼団にはフランスの騎士と娘が加わっていました。父親の騎士は闘いのなかで死に、娘はとらえられてフェリックス王妃の侍女となりました。娘は未亡人でしたが、そのとき亡き夫の子を身籠っていました。
偶然は重なるものです、その時、フェリックス王妃も妊娠しており、王妃と、王妃の侍女となっていた騎士の娘は時をおかず、ともに出産しました。王妃には息子フロリス、侍女には娘ブランシェフルールが。

ふたりの子は王宮で育ちます。
フェリックス王は仲睦まじいふたりを見て、王子フロリスが異教徒であるキリスト教の娘ブランシェフルールと結婚するのではないかと恐れます。
それを避けるため、フロリスは国外の学校へやられ、ブランシェフルールはバビロンの商人へ身売りされてしまいました。
ブランシェフルールは死んだと告げられていたフロリスでしたが、息子のあまりの落胆ぶりに後悔した父は、迷ったすえに真実を告げました。いとしい恋人が生きていることを知ったフロリスはブランシェフルールを捜す旅にでます。

物語にはつぎつぎと生ずる苦難をのりこえ、ついには愛するブランシェフルールを救いだすフロリスの活躍がつづられてゆきます。

‘Floris et Blanchefleur’ Painted by Edwin Austin [Public Domain via Wikipedia Commons]

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