バラ、特にオールドローズが好きで名前の由来や育種の経緯などを調べています。
宿根草や葉色が美しい草花や灌木などをアレンジしたバラ咲く庭を愛でるのも長年の夢です。

ダマスクローズ~古い由来の香りのバラ(1800年代~育種家の時代)

マダム・アルディ(Mme. Hardy)

育種家によるダマスクローズの登場

ダマスクローズは13世紀あるいはそれ以前かもしれないとされるなど、古い時代にヨーロッパへもたらされたためどんな由来なのかを調べることが出来ない品種ばかりでした。
しかし、1800年代にはいると、ダマスクローズもケンティフォリアや改良されたガリカの後を追うように美しい品種が生み出されるようになりました。

ドイツのシュワルツは完成の域に達したガリカを、オランダやベルギーからもたらされたケンティフォリアを元に本格的な育種に取り掛かるようになったデズメ、そして偉大な育種家であるヴィベールなどが数多くの華麗なバラを育種・公表するようになりました。
そうした環境下で、先人たちを追っていくつものバラ育種・栽培農場が開かれることとなりました。

こうしてダマスクローズにも、より大輪に、より多弁化となり、花色にも変化が生じました。
このことにより、ダマスクローズもケンティフォリアやガリカなどと区別がつきにくくなってゆきました。この時代以後、純然たるダマスクローズではなく、ふたつのクラスをまたがって登録されることもある品種も登場してくるようになりました。

今日でも入手可能な品種をいくつかご紹介します。

マダム・アルディ(Mme. Hardy)– 1832年、春一季咲き

1832年、フランス、パリのルクサンブール宮の庭丁であったJ-A ・アルディ(Julien-Alexandre Hardy)により育種・公表されました。アルディ夫人にささげられたものです。
凛として他を圧する気品あふれる白い花。甘くなごむ香り。たまご型の優美な葉。なにひとつ欠点のない“完璧”なバラであると、多くの研究家や愛好家に評されています。

「いまだ、どんなバラにも凌駕されていない…」(”Graham Stuart Thomas Rose Book”)という短い賛辞がすべてを物語っているのかもしれません。公表されてからすでに200年近くになるマダム・アルディですが、この美しさに匹敵する白バラはいまだに世に出ていないと言っていいのではないでしょうか。

マダム・ゾートマン(Mme. Zöetmans)– 1836年、春一季咲き

マダム・ゾートマン(Mme. Zöetmans)

1836年、フランスのマレスト(Marest)が育種・公表しました。交配親は不明です。

マレストが運営する園芸店はルクサンブール公園(当時は王宮庭園)にほど近い場所にあったようです。園芸店を運営かたがたバラの育種も行っていたのかもしれません。ピンクのHPコンテス・セシル・ド・シャブリラン(Comtesse Cécile de Chabrillant)、ピンク・アプリコットのティーローズ、スヴェニール・ド・デリス・ヴァルドン(Souvenir d’Elise Vardon)などを育種したことでも知られています。

デュク・ド・ケンブリッジ(Duc de Cambridge)– 1840年以前、春一季咲き

Photo/Huhu [Public Domain via Wikimedia Commons]


交配親の詳細ははっきりしていませんが育種の由来には二つの説があり、1840年以前とも、また1857年説もあります。

ひとつは、ハイブリッド・パーペチュアル(HP)の生みの親、フランスのジャン・ラッフェイが作出・公表したというもの。イギリスのバラ研究家トーマス・リバースが1840年版の著作のなかでこの品種に言及していることから1840年以前には市場へ提供されていたと解釈されています。(”Rose Amateur’s Guide”,1837, Thomas Rivers)

もうひとつは、1857年、マルゴッタン父(Jacques-Julien Margottin-père)がHPのマダム・フレミオン(Mme. Fremion)の実生種として市場へ出したとするものです。

1840年ころ、ラッフェイはHPの育種に専心していたことが知られています。また、マルゴッタン父もHPの育種に熱心でした。このデュク・ド・ケンブリッジは春一季咲きですので、HPにクラス分けされることはなく、ダマスクにされるのが適切だと思いますが、花形はHPに近いので、 “一季咲きのHP”と表現するのが一番イメージが合うような気がします。

イギリス王ジョージ3世の7男、ケンブリッジ公、アドルファス・フレデリック(Adolphus Frederick, Duke of Cambridge、1774-1850)にささげられました。

ベラ・ドンナ(Bella Donna) – 1840年頃、春一季咲き

1840年ころから市場へ出回っていることから、そのころ育種されたと思われますが、どこで、だれが、どんな交配親を使ってといった詳細はわかっていません。

美しい花、鮮烈な香り。ベラ・ドンナは”美しい女(伊語)”という意味ですが、ヨーロッパの湿地に自生するナス科の毒草の名前でもあります。
黒い果実、葉や根に含まれるヒヨスシアミン(Hyoscyamine)は猛毒とのことですが、局所麻酔、中枢神経興奮作用のある薬剤としても利用され、服用すると瞳孔を拡大させる効能があることから眼科の治療にも用いられるとのことです。大きな瞳で妖艶な美しさをふりまき、男たちを魅了する悪女といったところでしょうか。

ヘーベズ・リップ(Hebe’s Lip)– 1846年以前、春一季咲き

1846年ころ、イングランドのJ.C. リーが育種・公表したものの、その後流通が途絶えていました。1912年になって、ウィリアム・ポールが改めて市場へ紹介したと言われています。

交配親は不明ですが、ロサ・ダマスケナ(R. x damascene:”サマー・ダマスク”)とヨーロッパに広く自生している原種、ロサ・ルビギノサ(R. rubiginosa:”エグランティン”)との交配により育種されたというのが一般的な理解です。

ボツァリス(Botzaris)‐1856年、春一季咲き

Photo/Andrea Moro [CC BY SA-3.0 via Rose-Biblio]

1856年、フランス、ヴィベール農場を引き継いだフランソワ・A・ロベール(Français-André Robert)が育種・公表しました。
交配親は不明です。
花形、葉や枝ぶりの形状からダマスク種のひとつとされていますが、グラハム・トーマスやクルスマンなど著名な研究家は、白花であること、本来のダマスクの香りとは微妙に異なることなどから、交配にはアルバが関わったと考えていたようです。(“Graham Stuart Thomas Rose Book”, “The Complete Rose Book”)

この美しいダマスク・ローズは、独立戦争に参戦し英雄となったマルコス・ボツァリス(Markos Botsaris:1790-1823)に捧げられたとも、あるいは独立を果たしたギリシャで王妃付きの侍女としてその美貌を謳われたカテリナ・ロザ・ボツァリス(Katerina “Rosa” Botsari)に捧げられたとも言われています。

’Katerina “Rosa” Botsari ‘ Portrait/Joseph Karl Stieler  [Public Domain via Wikimedia Commons]