バラの由来を調べる貴重な資料
1811年、『婦人のためのバラ年誌(Almanach des Roses, dédié aux dames)』というバラ解説本がフランスで刊行されました。

著者はクロード-トマ・グラパン(Claude-Thomas Guerrapain:1754-1821)。
パリ東部のメリ=シュル=セーヌ(Méry-sur-Seine)の出身で、トロワ大学で法律を学び、1781年にはパリで弁護士として活動していました。やがて故郷へ戻り執行官、検察官を務めました。
故郷に落ち着いたグラパンは自然科学を農業へ適用することに専念するようになり、植林地の開発やミツバチの飼育などの研究を行いました。その成果は著作として残されています。
1811年に刊行された『婦人のためのバラ年誌』は150種ほどのバラについて、その特徴や魅力を解説しています。
(CTHS;Committee for Historical and Scientific Works, https://cths.fr/an/savant.php?id=126490, 2025-01-04閲覧)
古い由来のバラたちとグラパンの著作とのかかわり
ヨーロッパでは、ケンティフォリア、ガリカ、ダマスクやモスローズなど、いつからとも知れないほど古い由来のバラが既に知られていました。しかし、18世紀末ころから、庭植えバラへの需要が高まり、ベルギー/オランダ、ドイツなどから秘蔵されていた品種などがフランスにもたらされ、王侯貴族の集うサロンなどもてはやされるようになりました。そのことから、新しく育種されたバラを求める声も高まり、新品種も出まわるようになりました。
オールドローズの研究者たちは、その時代に登場した新品種についての正確な育成年、交配親、だれが、どんなもくろみで育種したのかを探求し続けています。
しかし、バラ育種の黎明期と呼ばれる18世紀末から19世紀はじめの時代は資料や文献が少ないため、不明点が多く、整理が進んでいないというのが現状です。
こうした環境下で、貴重な文献のひとつとなっているのがグラパンの著作『婦人のためのバラ年誌』です。
いつとは確定できないけれど、この著作のバラ・リストに掲載されていることから、
「少なくとも1811年には市場に出回っていた」と解説することができるようになりました。
はっきりした育種年は不明ながら、この著作にリストアップされたことにより1811年には育種家によってもたらされていた美しい品種をいくつかご紹介しましょう。
アキユ/スパーブブリュニュ(Achille/Superbe Brune)
掲載可能な画像はみつかりませんでした
アキユ(Achille:ギリシャ神話の英雄アキレウスの仏名)、別名スパーブブリュニュ(”最高の褐色”)という品種名でリストアップされています。グラパンは以下のように解説しています。
…花は多弁ではないが大変美しい。花径は3インチ(7.5㎝)ほどで、濃い紫色とベルベットのような花色です。よく整った花弁がびっしりと詰まっています。
この種類のバラ(ガリカ)の中では最も完璧なもののひとつです。
心地よい香りを放つという利点もあります。
ルイ16世(Louis XVI)という品種名で流通することがあるようですが、似通った品種名のルイ14世(Louis XIV)があるので間違いやすいです。
ともにカーマイン/バーガンディーとなる深い花色ですが、“ルイ14世”は1859年にギヨ息子が育種・公表した返り咲き性の強いチャイナローズ、”ルイ16世=アキユ”は花色はよく似ていますが、より大輪で一季咲きのガリカです。
ミナ―ヴ(Minerve)
掲載可能な画像はみつかりませんでした
ケンティフォリアのような大輪、花弁がいっぱいにつまったロゼッタ咲き。
モーヴ(藤色)の花色となるのが普通のようですが、ときに濃いバーガンディに染まることもあるようです。
ピンク系のガリカ(アガタ)とされることが多いようですが、ハイブリッド・チャイナであるという記述もあります。
ローマ神話に登場する知恵・芸術をつかさどる女神ミネルヴァにちなんで命名されました。以下はグラパンによる解説です。
形、色、開花時期がジュノー(Juno)に似ています…
その幹はより繊細で、より緑色で、トゲが少ないです。大きくはない葉…ツボミは長めで切れ目のある萼によっておおわれています。
…ミナーヴの色はジュノーよりも少し濃いですが、一見すると区別するのは難しく、姉妹品種であると考えることができます。
グラパンが言及しているジュノーは淡いピンクのケンティフォリアではなく、濃色でガリカにクラス分けされている同名異種のジュノーです。グラパンはミナーヴのほうが色濃いと解説していますが、実際には、現在出回っているガリカのジュノーのほうが色濃いことが多いようです。
育種黎明期の偉大な育種家であるジャック-ルイ・デスメ(Jacques-Louis Deschmet)により育種されましたが、1811年以前のことだとしか分かっていません。なお、グラパンが姉妹品種ではないかとしたジュノーは1790年ころには知られていたようで、育種者不明です。デスメの育種ではありません。
アグライア(Aglaïa)
ユーフラシーヌ・レレガント(Euphrosyne l’élégante)
タリー・ラ・ジャンティーユ(Thalie La Gentille)



‘左アグライア:中ユーフラシーヌ:右タリー’ Photo/Rudolf [CC BY SA-4.0 via Rose-Biblio]
ギリシャ神話に登場する三美神、アグライア、ユーフラシーヌ、タリー(タリア)にちなんで命名されたピンクあるいはモーヴのガリカです。
三種ともジャック-ルイ・デスメにより育種・公表されました。グラパンの著書へのリストアップが初出のため、三種とも1811年以前に育種されたが、正確にはいつとは分かりません。
三美神はたびたび絵画や彫刻の題材とされ、多くの作品が残されています。下の画像はサンドロ・ボッティチェッリの傑作『春(プリマヴェーラ)』の三美神を描いた部分です。

アルザスのシュミット(J. B. Schmitt/Alsace) が育種し、ドイツのペーター・ランベルトにより市場へ提供されたランブラー三種にも同じ名前が付けられています。育種年が新しいためか、三美神にちなんだバラというとこちらのシュミット作出のほうを思い浮かべる方のほうが多いと思います。



‘左アグライア:中ユーフラシーヌ:右タリア’ Photo/Rudolf [CC BY SA-4.0 via Rose-Biblio]
アレクトール・クラモアジ・マジョール(Alector cramoisi major)

‘アレクトールの赤花、大輪’と呼ばれたガリカです。アンドレ・デュポン(André Dupont)の圃場にあったとされているため、デュポンの育種、1811年以前とされることもあります。
ただ、デュポンは育種は行わなかったというのが通説ですので、コレクションの一種だったのかもしれません。
グラパンは次のようにコメントしています。
この品種は、茎、葉、萼、蕾に特に目立つところはありません。
花は大きく、八重咲きで、美しい深紅色で、明るく、ビロードのような質感です。ドッグローズ(ロサ・カニナ)に接ぎ木すると、素晴らしい効果を生み出します。花びらはよく詰まっており、香りは甘く心地よいです。これほど鮮やかな花は他にほとんどありません。
バカート(Bacchante)

バカートとはギリシャ神話の酒神バッカスを祀る巫女のことです。
グラパンの記述では”濃赤”のガリカだとされていますが、現在、伝わっているバカートはミディアム・ピンクあるいは藤色(モーヴ)となる花色です。
花色は品種名にマッチングしていません。
HelpmeFindでは、以上のことからオリジナルはすでに失われてしまい、別品種にすり替わったしまったのではないかと推測しています。
育種年は例によって1811年以前、育種者は不明です。
以下に挙げるのは、多かれ少なかれ濃い赤色で……
強くて勢いのある木。
黄緑色の楕円形の葉は強めの鋸歯となります。
萼と蕾は丸く、先端は覆われています。
赤花の’ボルドー’ほどの大きさの花径から、あるいは貴婦人のバラ、多弁のスミレ色の花であることから、バカート(”乱酔した淫奔な女”の意がある)いう名前がつけられたのでしょう。
甘い香りがあり、6月10日頃に開花します。
ベル・オロール(Belle Aurore)

掲載可能な写真は見つかりませんでしたが、ルドウテが’ダマスケナ・オロール’という名称で残した水彩画がありました。
中輪、カップ咲き、淡いピンクに花開きます。
もっとも美しいアルバローズのひとつとして多くのバラ愛好家の賛辞を浴び続けています。
この品種は、ベル・オロール・ポニャトフスカ( Belle Aurore Poniatowska)と呼ばれることもあります。オロール・ポニャトフスカ(1800-1872)は 15 歳でルドゥテの下で花の絵を学ぶためにパリに送られました。よい弟子だったようです。彼女は、ウクライナのタハンチャに戻った後、1823年にローマのロシア大使館の二等書記官ピョートル・ドミトリエヴィチ・ブトゥルリン伯爵(1794-1853)と結婚したとのことです。
グラパンの記述。
この種は、バラの香りも大切にし優しい色を愛する人たちを必ず喜ばせます。
茎にはほとんどトゲがなくチャイナローズのトゲなしバラのようです。
小さな楕円形の細かく切れ込んだ葉、または鋸歯状の葉は葉柄から十分に離れており、折り畳まれます。それらは濁った緑色です。
萼は非常に細長く、葉柄と同様に茶色のトゲでおおわれています。
ボタン目が(花芯に)生じます。
花は直径3インチで、あまり多弁ではありません。しかし、その素晴らしい新鮮さは、それに付けられた美しい名前を裏切るものではありません。
ヴルール・プルプル(Velours Pourpre)

ヴルール・プルプルとは”パープル色のベルベット”という意味のガリカ。別名であるクラモアジ・アンコンパラブル(Cramoisi incomparable)は”較べようもない深紅”という意味です。名称がこの品種の特性をよく表していると思います。
オランダ、ノルドウィックで乾燥野菜やハーブの生産を生業としていたコルネイユ・ステガーフック(Cornelis Stegerhoek)が育種したと伝えられています。グラパンのリストアップが初出であるため1811年以前とされていますが、正確な育種年は不明です。
グラパンの記述は以下のようなものです。ただ、現在見ることができる実株は、グラパンの記述とは多少異なっています。
グラパンは花径が1.5インチ(3.5㎝)ほどだとしていますが、7㎝径ほどの中輪花であること、細いとされている葉幅も目立った細さではないことなどです。
現在流通しているヴルール・プルプルは本来のものとは違ってしまっているのかもしれません。
このバラに付けられた名前は、このバラによく当てはまります。
茎は緑色で、小さな茶色のトゲがあります。
葉は細長く、基部が締まっています。
萼は細長く、茶色の毛で覆われています。
つぼみはほとんど裸です。
花の直径はわずか 1.5 インチ(3.5㎝)で、美しい濃いビロードのような紫色の八重咲きです。花びらはカールしていて、萼の上で裏返っています。