“パルメンティエの栄光”と命名された美しいアルバローズ

上の画像はフェリシテ・マルメンティエ(Félicité Parmentier;”パルメンティエの栄光”)と命名されたアルバローズです。
ロゼッタまたはクォーター咲き、熟成すると丸弁咲きの花形となります。
淡いピンク、花芯は色濃く染まり、緑芽ができることが多い、息を呑むほどに美しい花です。
蒼みを帯びた深い色合のつや消し葉、細めだが固めの枝ぶりとなる中型のシュラブ。アルバローズとしては比較的小さめな樹形。
華麗でそこはかとなく憂いを秘めたような、花色、花形、葉、樹形は精妙なバランスが保たれています。
今日まで美しいオールドローズが数多く伝えられていますが、そのなかにあっても特別に輝かしい品種だと思います。
ベルギーのルイ・ジョセフ・ジスレン・パルメンティエ(Louis-Joseph-Ghislain Parmentier:1782-1847)により育種されました。
この時代の常として、交配親は不明、育種年は1836年以前だということしか分かっていません。
偉大な育種家、ルイ・パルメンティエ
ルイ・パルメンティエは父アンドレ(Andre Parmentier:1738-1796) 、 母マリー・オルレアン(Mary Orlains :1748-1819)の11人兄弟の9番目の子として誕生しました。
兄ジョゼフ(Joseph Julien Ghislain Parmentier:1775-1852)はアンギャバンの市長をも勤め、熱帯植物などのコレクターとしても知られていた名士であり、また別の兄、父と同名のアンドレ(Andre Joseph Ghislain Parmentier:1780-1830)は米国ニューヨークへ移住し、ブルックリンに圃場を構え庭園デザインを行い、米国におけるガーデン・デザイナーの先駆と評されているなど、一族をあげた園芸一家であったようです。
パルメンティエ家の本拠地、ベルギーのアンギャン(Enghien:ブリュッセルの南西20㎞ほどの距離、エイヒーンと発音することも)において、パルメンティエは4半世紀以上にわたってバラの蒐集と育種を行いました。
1847年、彼は死去しました。
パルメンティエというとジャガイモと牛挽肉を用いたグラタン、”アッシ・パルメンティエ(Hachis parmentier)”を思い出す方も多いと思います。
実際、この料理は薬剤師、農学者、栄養学者で、ジャガイモの普及に努めたことで名高いアントワーヌ=オーギュスタン・パルマンティエ(Antoine-Augustin Parmentier:1737-1813)にちなんだものですが、姻戚関係にはなかったよです。
パルメンティエが残したバラ
ベルギー王立バラ協会(The Royal Rose Society ;”De Vrienden van de Roos” )のメンバーであるフランソワ・メルトン氏(Mons. François Mertens)は、1990年刊行のアンギャン考古学会報(ANNALES DU CERCLE ARCHEOLOGIQUE D’ENGHIEN, T. XXVI, 1990)の中でルイ・パルメンティエ育種のバラについて詳しく記述しています。
メルトン氏が論拠としたのはアドルフ・オットー(Adolf Otto)による『バラ園またはバラ栽培: “Der Rosengarten oder die Cultur der Rosen”)』で言及されたパルメンティエに関する記述でした。
それによれば、
パルメンティエの圃場では系統だった品番がつけられるなどていねいな品種管理がなされており、3000品種、12,000株のバラが栽培されていた…
そのなかには市場に提供されていない855の品種(うち800種はパルメンティエの庭園にのみ植栽されている)、255種は未命名のままであった…
とされています。
これはにわかには信じられないコレクションです。1815年ころ、ナポレオン前皇妃ジョゼフィーヌが金に糸目をつけず贅を尽くして収集した世に名高い”ジョゼフィーヌのバラ”は品種数250種ほどだったと考えられています。
30年が経過した後だとはいえ、3,000という品種数がいかに驚異的なものであったか想像できると思います。
このように、ルイ・パルメンティエは偉大なバラ育種家だったと思われます。なぜ「思われる」かには理由があります。
上述したように、パルメンティエが育種したと伝えられる800に及ぶオリジナル品種は、そうした伝承があるだけで実際には1847年の彼の死去後、競売に付され一部を除きほとんど散逸してしまったからです。
パルメンティエの消えた新品種
以下のリストはパルメンティエが死去後のバラ競売リストの一部です。右欄の上のほうに’Félicité Parmentier’が記載されているのが確認できます。

パルメンティエが精魂をこめた新品種は競売を経てフランスなどで当時活動していたバラ農場主の所有となり、その後、多くの品種はそれぞれの農場において新たな名前を付され市場へ出回るようになりました。
そのため、パルメンティエ作出品種の多くは別育種家により育種されたものとして記録されることとなってしまい、彼の作出とされるる800種のうち彼の育種品種として特定可能なものはわずかになってしまいました。
「バラはどこへ行ったの?」と声を大にして叫びたいところですが、今日でも、細々と消えたパルメンティエのバラを捜索するこころみは続けられています。
パルメンティエのバラを探す
先にあげた『1990年アンギャン考古学会報』には106品種がルイ・パルメンティエ作出として確認できる品種だと記載されています。
現在、入手可能な主なパルメンティエ育種品種13種をリストアップしました。詳細は個別ページをご参照ください。
フェリシテ・パルメンティエ(Félicité Parmentier)- alba
ダゲッソー(D’Aguesseau)- gallica
アナイス・セガラ(Anaïs Ségalas)- centifolia
イポリート(Hippolyte)- gallica
トリコロール・ド・フランドル(Tricolore de Flandre)- gallica
ヴァン・アルテフェルデ(Van Artevelde)- gallica
ベル・イジス(Belle Isis)- gallica
カーディナル・ド・リシュリュー(Cardinal de Richelieu)- gallica
ロズ・ド・スヘルフハウト(Rose de Schelfhout)- gallica
ヘクトール・パルメンティエ(Hector Parmentier)- gallica
デジレ・パルメンティエ(Désirée Parmentier)- centifolia
デュモアティエ(Dumortier)- gallica
ヴィクトール・パルメンティエ(Victor Parmentier)- gallica


![’Eupatorium japonicum' Photo/Koba-chan [CC BY SA2.5 via Wikimedia Commons]](https://ggrosarian.com/wp-content/uploads/2024/11/image-1-160x160.jpeg)