概要
1611年(江戸時代初期、慶長16年)、京都の商人角倉了以(すみくらりょうい:1554-1614)は安南(今日のベトナム)との朱印船貿易によって巨万の富を得ていましたが、鴨川を縦に並走させて伏見へ至る運河の開削をもくろみ、1614年に完成へこぎ着けました。これが高瀬川です。
森鴎外の短編小説『高瀬舟』では、弟殺しから遠島の罪を負った喜助が高瀬舟にゆられながら護送役の同心羽田庄兵衞に自らの人生と弟への思いを語ります。静かに下りゆく浅い流れにわずかに揺れる高瀬舟の喜助へ思いやるのも、この庭の印象を深く刻みつける助けのなると思います。
角倉了以は鴨川から高瀬川への流れの取り込み口に別邸を築き、その際に池泉庭園も築きました。
角倉了以の没後、邸宅は幾度も転売されましたが、1891年、山縣有朋(1838-1922)の所有となりました。山縣は出身地萩の自邸「無鄰菴」にちなみ第二無鄰菴と命名しましたが、すぐに転売し南禅寺近くに「第三無鄰菴」を造営しました。この第三無鄰菴が今日「無鄰菴」と呼ばれる屋敷・池泉庭園です。
この庭園は現在、株式会社がんこが所有し、「がんこ高瀬川二条苑」という料亭になっています。庭園の管理は植藤、16代目佐藤右衛門によるとのことです。
がんこ高瀬川苑パンフレット



