バラ、特にオールドローズが好きで名前の由来や育種の経緯などを調べています。
宿根草や葉色が美しい草花や灌木などをアレンジしたバラ咲く庭を愛でるのも長年の夢です。

アガタ・インカルナータ(Agatha Incarnata)

アガタ・インカルナータ(Agatha Incarnata)

どんなバラ?

7㎝から9㎝径、40弁を超える薄いデリケートな花弁を無理やり詰め込んだようなカップ型、ロゼッタ咲きとなる花形。熟成するにしたがい丸弁咲きへ変わってゆきます。花芯に緑芽ができることもあります。
ミディアム・ピンクまたはストロング・ピンクの花色、透けてみえるほどの薄い花弁ですので、ザ・ワックス・ローズ(the Wax Rose)と呼ばれることもあります。
明るい色合いのつや消し葉、150㎝高さ前後のたおやかな枝ぶりのシュラブとなります。
強香。
春一季咲きのガリカです。

育種者、育種年

1811年以前、オランダからフランスへもたらされたのではないかと言われていますが、由来は不明のままです。ガリカにクラス分けされることが多いのですが、花弁が密集する花形から、ケンティフォリアとされることもあります。淡い花色ゆえか、アルバとする研究者もいます。
淡いピンクのガリカとして人気のあるデュセス・ダングレーム(Duchesse d’Angouleme)との類似がしばしば指摘されています。
違う!としたり(グラハム・トーマス)、同じだ!としたり(ジョワイヨ教授)と、尊敬する先達が正反対の説を唱えています。以下述べるようなさまざまな混乱から、現在、どれが本当のインカルナータなのか、どれが本当のダングレームなのか判然としません。結論が出すことはむずかしいようです。

ジョワイヨ教授によればこの品種はジョゼフィーヌのコレクションとしてマルメゾン館で植栽されており、1815年以降、デュセス・ダングレームと呼ばれるようになったのだとのことです。(”La Rose de France”)

フランスの法曹家であったクロード-トマ・グラパン(Claude-Thomas Guerrapain:1754-1821)は引退後の1811年に『婦人のためのバラ年誌(Almanach des Roses, dédié aux dames)』を刊行しました。この解説本のなかで”Agathe carnée”という品種名で記述されたのが、今日一般的に”アガタ・インカルナータ(肌色の聖アガタ)”と呼ばれているこの品種であろうと解釈されています。これが文献上の初出です。
グラパンの記述は次のようなものでした。

アガタ・カルネ、大輪咲きの原種
このバラは、茎、葉、托葉、つぼみのいずれも前述の品種(ロイヤル・アガタとアガタ・プロリフェール)と同じ性質を示しているが、花には違いがあり、より大きく、より多弁で、より淡い色合いのピンクとなる。

また、1815年、ボタニカル・アーティストであるサルモン・ピナス(Salomon Pinhas)が刊行したバラのイラスト集『Rosen-Sammlung zu Wilhelmshöhe(ヴィルヘルムショーンにのバラコレクション)』に”Rosa Incarnata”として掲載されています。

品種名の由来

アガタ/アガト(Agatha、Agathe)とは?

アガタは古代ローマ時代のシチリアに生きた女性です。当時禁止されていたキリスト教を信奉し、棄教を迫られましたが応ぜず、殉教しました。

‘Saint Agatha’ Painting/Francisco de Zurbarán [Public Domain via Wikimedia Commons]

アガタは3世紀ローマ帝国支配下のシチリア、カターニアの富裕な貴族の家に生まれた美しい娘で、キリスト教を深く信仰していました。

支配者であるローマ人総督は15歳のアガタの美貌と、結婚の際、相続するであろう財産を我が物にしようともくろみ、アガタに言い寄りました。
しかし、アガタは異教徒との婚姻を嫌い、かたくなにこれを拒絶しました。逆上した総督は、違法とされていたキリスト教を信奉することを理由にアガタを投獄し拷問し、ついには乳房を切り落としてしまいました。しかし、それでも棄教しなかったアガタはとうとう火刑に処され殉教しました。

聖アガタが火刑に処せられた際、なぜか赤いショールだけは焼けずにそのまま残り、聖アガタ礼拝堂に聖遺物として大切に保管されているとのことです。赤いショールをまとい乳房をのせた皿をもっている構図はカターニアのアガタを描いたものとすぐにわかります。

アガタはカターニアの守護聖人とあがめられるようになり、今日でも毎年2月はじめ、聖アガタ祭が催されています。町衆が巨大な山車を担いで練り歩く盛大な祭典です。

‘Festi di Saint Agatha’ [CC BY SA-4.0 via Wikimedia Commons]

別名、よく似た別品種

多くのバラがこの聖少女の名を冠して市場に提供されました。そのため、取り違えも生じ、また、まぎらわしい別名もあり、混乱しています。

アガタ・インカルナータの別名
デュセス・ダングレーム(Duchesse d’Angoulême)と呼ばれることがあります。デュセス・ダングレームは王妃マリー・アントワネットの第一子マリー・テレーズ(Marie Thérèse Charlotte)のことです。また、マリー・ルイーズ(Marie Louise)あるいはアガタ・マリー・ルイーズとも呼ばれることもあるようです。

ただ、異論もありますが、アガタ・インカルナータとデュセス・ダングレームは本来別の品種であろうと思われるので、これはよく似た品種と取り違えによる混乱ゆえのことと思われます。

同名、類似名の品種

アガタ/アガトが清廉な女性のイメージがあることから、よく似た品種名のバラがいくつかあります。また、ピンクのガリカを代表する品種であることから、古い時代にはピンク・ガリカを表すサブ・クラスとして長い間使用されていたこともあり、現代でもピンクのガリカについては”ガリカ/アガタ”と表示されることも多々あります。
よく似た品種名、別品種を2点解説します。

  • アガト・ド・フランクフォール(Agathe de Francfort)- 単にアガタと呼ばれるときはこの品種
  • アガト・クーロンネー(Agathe Couronnée)- 一般的にはマリー・ルイーズという品名で流通している

アガト・ド・フランクフォール(Agathe de Francfort)

’R x francofurtana Agatha’ Photo/Rudolf [CC BY SA-3.0 via RoseBiblio]

単に”アガタ”というと、だいたいこの品種のことを指します。他のアガタと区別するためときには”Francfort(フランクフルト)”と添えます。

細く長い萼弁に隠れるような蕾、開花すると、一般的には赤花とされていますが、実際には深いピンクとなる花色。25弁ほどのオープン・カップ型または丸弁咲きとなります。一度くしゃくしゃにしてから改めて開いたような乱れがちな花弁、野趣を感じさせます。
明るい色調のつや消し葉が美しい、200㎝高さを超えることが多い、大型のシュラブになります。

1817年にはこの品種についての記述があることから、それ以前に存在していることが判っていますが、そこからどれだけさかのぼれるのかは定かではありません。

フランクフォールと呼ばれる由来

なぜ、フランクフォール(”フランクフルトから来た”)と呼ばれるのかには、ややこしい説明を要します。
この名称は、この品種がロサ・クロス・フランコフルターナ(R. x francofurtana)に由来する(同系列)であろうという研究家の判断からきています。
ロサ・クロス・フランコフルターナは、1583年にカロルス・クルシウス(Carolus Clusius:1526-1609)が公刊した園芸書『Rariorum stirpium per Pannonias observatorum Historiae(パンノニア全土で観察される希少品種の歴史パンノニア全土で観察される希少品種の歴史)』に”Rosa sine spinis(トゲなしバラ)”という名称で記述され、また、クルシウスがフランクフルトのとある庭園で見たとして改めてロサ・フランコフルターナという名称で紹介したことに由来しています。

ロサ・フランクフルターナは当初は原種のひとつとされていましたが、リンネなどにより”自然交配種”であろうと判定され、”x(クロス)”が付され、ロサ・クロス・フランクフルターナ (Rosa X francofurtana agatha)と呼ばれることになりました。
要は、”フランクフルトのアガタ”とは、フランクフルト・ローズと同系列の”アガタ”だということです。
ロサ・クロス・フランコフルターナ・アガタ(R. x francofurtana Agatha)と表記すると由来や性質をすぐに思い起こせるので便利かもしれません。

同じフランクフルト・ローズ由来種にエンプレス・ジョゼフィーヌ(Empress Joséphine/Impératrice Joséphine)があります。このアガタとよく似ていますが、ジョゼフィーヌのほうが小ぶりのブッシュとなります。

アンペラトリス・ジョゼフィーヌ(Imperatrice Josephine)
‘Impératrice Joséphine’

アガト・クーロンネー/マリー・ルイーズ(Agathe Couronnée/Marie Louise)

7cmから9cm径ほどの、中輪、ロゼッタ咲きの花となります。
花色は少しくすみ(灰)の入った深みのあるピンク。
春のみの開花、一季咲きのダマスクです。
いくぶんか大きめ、幅狭のつや消し葉。細いけれども固めの枝ぶり。90から120cm高さの立ち性のシュラブとなります。

一般的にはマリー・ルイーズ(Marie Louise)– ダマスクと呼ばれることが多い品種です。
1811年ころ、パリ、ティレリー宮の庭師で、マダム・アルディの育種で知られているウジェンヌ・アルディ(Eugene Hardy)により育種・公表されました。交配親は不明で、花形からケンティフォリアとされることもありますが、葉や樹形にはダマスクの特徴が濃厚で、一般的にはダマスクにクラス分けされることが多いようです。

1830年代の古い記述ではこの品種をアガタ・マリー・ルイーズ(Agatha Marie Louise)と呼ぶ例があります。この品種はガリカではなく、一般的にはダマスク、時にケンティフォリアにクラス分けされ、また、別にマリー・ルイーズという品種名で出回っている品種もあるので、こんがらがってしまします。さらに、残念ながら同名ながら花色や葉や茎の様子に違いがある株まで出回っていますので実際にはどれが本物なのかわからない状態になっています。

マリー・ルィーズ(Marie Louise:1791-1847)は、ナポレオン1世がジョセフィーヌと離婚した後、皇妃として迎えたオーストリア皇帝フランツ1世の娘、ハプスブルグ家の王女です。フランス革命の渦中でギロチン刑に架せられたマリー・アントワネットは大叔母にあたります。

‘Empress Marie-Louise’ Painting/Jean-Baptiste Isabey [Public Domain via Wikimedia Commons]