Photo/Rudolf [CC BY SA-4.0 via Rose-Biblio]
フランクフォール・アガテ(Francfort Agathé)- gallica
どんなバラ?
7cmから9㎝径、25弁ほどのオープン・カップ型または平咲きとなります。乱れがちな花弁。
ミディアム・ピンクとなることが多いようですが、淡いピンクとなることもあるようです。
香りはわずか。
卵形によく整った、明るい色調のつや消し葉。トゲはまばら、120cmからときに200cm高さを超えるシュラブになります。
育種者、育種年および別名など

1790年に発行されたジャン・クレプス(Jean Kreps)によるカタログ『カタログ・デ・プル・ベル・プランテ(Catalogue des plus belles Plantes;”もっとも美しい植物カタログ” )』に’Rosa Agathe le Vrai’という名称でリストアップされています。これが現在確認できる文献上の初見です。
親品種は原種交雑種の’Rosa x francofurtana’で、自然交配などによって色抜けして明るいピンクの花色になったのだろうと推察されています。
そのことから、この品種も’Rosa x francofurtana Agathe’と呼ばれることもあります。
品種名の由来
なぜ、フランクフォール(”フランクフルトから来た”)と呼ばれるのか
なぜ、フランクフォール(”フランクフルトから来た”)と呼ばれるのかには、少しややこしい説明を要します。
この名称は、この品種がロサ x フランコフルターナ(R. x francofurtana)に由来する(同系列)であろうという研究家の判断からきています。
親品種と目されるロサ x フランコフルターナは、1583年にカロルス・クルシウス(Carolus Clusius:1526-1609)が公刊した園芸書、『Rariorum stirpium per Pannonias observatorum Historiae;”パノニア全域で観察された希少品種の歴史”』に”Rosa sine spinis(トゲなしバラ)”という名称で記述され、また、クルシウスがフランクフルトのとある庭園で見たとして改めてロサ・フランコフルターナという名称で紹介したことに由来しています。
なぜ、Agatha/Agathと呼ばれるのか
ドイツの熱心なバラ愛好家であったアウグスト・イェーガー(August Jäger:1876 – 1962)は生涯にわたってバラの観察を続けました。
彼は18,000種に及ぶ膨大な量のメモを作成していましたが、メモをもとに1936年に『Rosenlexikon(”バラ百科”)』と題した小書を発行しました。しかし、本格的な書籍になったのは1960年でした。
メモのなかでイェーガーは、ピンクのガリカに関しサブ・クラスとして”Agatha”という標記を使用しました。このことによりAgathaという標記が使用されると美しいピンクのガリカが想像されます。それが18、19世紀にかけて市場に登場したピンクのガリカにAgatha/Agatheという品種名やサブ・クラス名が利用された理由です。
Agatha/Agatheは元来シチリアの聖人の名なのですが、 がなぜそれをサブ・クラス名にしたのかはよくわかっていません。
聖アガタ(Agatha、Agathe)
![Painting/Francisco de Zurbarán [Public Domain via Wikimedia Commons]](https://ggrosarian.com/wp-content/uploads/2026/05/SaintAgatha-524x1024.jpg)
3世紀ローマ帝国支配下のシチリア、カターニアの富裕な貴族の家に生まれたアガタはキリスト教を信奉する美しい娘でした。
ローマ人の総督は15歳のアガタの美貌と相続する財産に目がくらみ、我が物にしようと言い寄りました。しかし、アガタは異教徒との婚姻を嫌い、かたくなにこれを拒絶しました。
逆上した総督は、違法とされていたキリスト教を信奉することを理由にアガタを投獄し拷問し、ついには乳房を切り落としてしまいました。しかし、それでも棄教しなかったアガタはとうとう火刑に処され殉教しました。
アガタはカターニアの守護聖人とあがめられるようになり、今日でも毎年2月はじめ、聖アガタ祭が催されています。町衆が巨大な山車を担いで練り歩く盛大な祭典です。
聖アガタが火刑に処せられた際、なぜか赤いショールだけは焼けずにそのまま残り、聖アガタ礼拝堂に聖遺物として大切に保管されているとのことです。赤いショールをまとい乳房をのせた皿をもっている構図はカターニアのアガタを描いたものとすぐにわかります。

