ヨーク・アンド・ランカスター(York & Lancaster)- damask
どんなバラ?
7cmから9cm径、16弁から25弁ほどの、セミダブルに近いダブル・平咲きの花となります。
薄いピンクがベースとなる花色ですが、時に筆で掃いたように、濃いピンクが現われることがあります。
強い香り。(強香)
ざらりとした感じのつや消し葉。剛毛と数少ないものの鋭くフックしたトゲのある株肌、150cmから210cm高さのシュラブとなります。アーチングする枝ぶりがいかにもオールドローズの雰囲気をかもしだします。
‘ロサ・ダマスケナ・ヴェルシコロール(Rosa Damascena Versicolor)’、’ロサ・ダマスケナ・ヴァリエガータ(Rosa Damascena Variagata)’などの別称があります。
育種者・育種年など
古い由来の品種ですので、育種者、育種年とも不詳ですが、1597年にはこの品種に言及したとされる文献があります。
1597年刊行のマティアス・ド・ロベリウス(Matthias de Lobelius)による『植物誌あるいは花の歴史(Plantarum, seu Stirpium Historia)』にベルギーのアドリアン・フォン・グラヒト博士(Dr. Adrian von der Gracht)が「白花に少し、刷毛ではいたような、または明るいピンクがまざる…」と解説しているダマスクはこの品種であろうとされています。

1613年に刊行されたバジリウス・ベスラー(Basilius Besler)著『アイヒシュテットの庭園(Hortus Eystettensis)』はバイエルン州アイヒシュテット王子司教の庭園の植物について記述されたものですが、ヨーロッパにおける彩色をほどこされた最古のボタニカル・アートとして知られています。
書籍の図譜の中に、ロサ・プラエネスティナ・ヴァリエガータ・プレナ(Rosa praenestina variegata plena )というバラ(左図、右下)があります。
この図は’ヨーク・アンド・ランカスター’の最も古い図譜なのではないかと見られています。
赤バラと白バラの薔薇戦争
15世紀、イングランドの勃発した薔薇戦争(1455-1485)は赤バラを紋章とするランカスター家と白バラのヨーク家の間の抗争でした。1455年から開始された抗争は女性や子供まで巻き込んで、殺し殺されの惨劇が繰り返されましたが、1485年、ボズワースにおいて赤いバラを紋章とするランカスター派のヘンリー・チューダーが白バラのリチャード3世に勝利して終焉を迎えました。
王位に就いたヘンリー・チューダーはヘンリー7世と名乗り、白いバラを紋章とするヨーク家のエリザベスを妃に迎えて、王位をめぐる血を血で洗う抗争はようやく終わりをつげました。
やがて、淡いピンクと濃いピンクの混じることのあるこの品種は両王家の融合を象徴して”ヨーク・アンド・ランカスター”と呼ばれるようになりました。まことにふさわしい命名と思います。
シェイクスピアやルドウテが愛した“赤白まじりのダマスクバラ”
シェイクスピアが作品のなかで、若い女性の初々しさを表現するとき、”赤白まじりのダマスク・バラ”という言葉を使っている箇所がありますが、 シェイクスピアの念頭にあったのは、このバラのことではないかと英国のバラ研究家は考えているようです。
ソネット集99番
(愛する青年を讃えるのに、最初に吐息をスミレに、つぎに白い手をユリに譬え)
トゲに囲われ、恐れおののくバラたち/The roses fearfully on thorns did stand,
一つめは恥じらって赤く、二つめは(拒絶におののき)白く色ざめ/One blushing shame, another white despair;
三つめは赤でも白でもなく、ふたつから色を盗み/A third, nor red nor white, had stol’n of both,
色ばかりではなく(香しい)吐息まで盗んだ/And to his robbery had annex’d thy breath;
ルドウテが残した植物画
ルドゥテがロサ・ダマスケナ・ヴァリエガータ(Rosa damascena variegate)と銘うって残している美しい植物画もこのヨーク・アンド・ランカスターです。



