ロサ・ムンディ(Rosa Mundi)
9mから11cm径、セミ・ダブル、オープン・カップ型の花形となります。
花色はクリムゾンと白の鮮やかなストライプ。
軽く香ります。
かたちよい卵形、明るい色調のつや消し葉。120cmから180cm高さの中型のシュラブ、浅緑の葉がさわやかな印象を与えます。
耐病性、耐寒性を備えた強健種です。
別名、ロサ・ガリカ・ヴェリシカラー(R. Gallica Versicolor)で呼ばれることも多い品種です。
品種名の由来など
1658年刊行の『Catalogus Horti Botanici Oxoniensis』(オックスフォード植物園目録)』に”Rosa mundi, Rose of Roses.*と短く記載されていることから、その時代には知られていたことがわかっています。
アポシカリー・ローズとともに原種として分類されることもあるほど、古くから知られた品種ですが、アポシカリー・ローズとの著しい類似から、その枝変わり種と見なされています。命名はイングランドの王ヘンリー2世(治世1133-1189)の愛人であったロザムンド・クリフォード(Rosamund Clifford:1150-1176)に由来するという説がもっともよく知られています。絵画などの題材とされる魅惑的な物語です。
アリエノール・ダキテーヌ(Aliénor d’Aquitaine:1122-1204)とロザムンド・クリフォード(Rosamund Clifford:1150-1176)の物語
12世紀、フランス南部(現在のボルドーなど)のアキテーヌ公国を領地としていたギヨーム10世の娘アリエノール・ダキテーヌ(Aliénor d’Aquitaine:1122-1204)は、フランス王ルイ7世と結婚しフランス王妃となったものの、やがて離婚してしまいます。しかし、アキテーヌ公国の継承者(アキテーヌ女公)として1147年の第2回十字軍への参戦を決めるなど絶大な権力をふるっていました。
!['Queen Eleanor' Painting/Frederick Sandys [Public Domain via Wikimedia Commons]](https://ggrosarian.com/wp-content/uploads/2026/01/Queen_Eleanor_Frederick_Sandys_1858-758x1024.jpg)
1152年には、イングランド王ヘンリー1世と王位をめぐり争っていたアンリ(ヘンリーのフランス読み。フランス生まれ)と再婚しました。アンリはやがて政争を制し、イングランド王ヘンリー2世と名乗ることとなりました。
しかし、ふたりは次第に不仲になり、今度はふたりがそれぞれ領有する広大な公国などをめぐって、ふたりの間に生まれた息子たちを巻き込んだ長い政争が始まることとなりました。
ロザムンドはイングランド、クリフォード城主の娘で”麗しのロザムンド(Rosamond:”世界のバラ”-ラテン語)”、あるいは”この世のバラ(Rose of the world)”と呼ばれた絶世の美女でした。
ヘンリー2世とアリエノールが争いを繰り返していたさなか、”麗しのロザムンド”はヘンリー2世の愛人となりました。
王妃アリエノールは激しい嫉妬に身を焦がすこととなりました。

王妃の嫉妬を恐れたヘンリー2世は周囲に迷路をめぐらした城塞へロザリンドをかくまいます。
怒りに燃えた王妃アリエノールはひそかにイングランドへ入国し城内への道を探しますが、なかなか見つけることができませんでした。
しかし倦むことなく捜し続けていたある日、1本の細い糸が延々と続いているのを見出します。実はこれはヘンリー2世が城を出ることができないロザムンドをなぐさめるために与えた刺繍糸がほつれ、ロザムンドの部屋から城外へと続いていたものでした。

その糸をたどってロザムンドのもとへたどり着いた王妃アリエノールは、
「ナイフか、毒入りワインか」とロザムンドに迫ります。
おぞましい流血を恐れたロザムンドは、毒をあおって死ぬことを選び若い命を落としました。
森の奥深く、迷路によって囲まれ容易に近づくことが出来ない城、そこにはバラのように美しい女性が住んでいるというロマンティックなイメージは多くの芸術家にインスピレーションを与え、絵画や詩文などが残されました。
ヘンリー2世もアリエノールも、またロザムンドも実在の人物です。しかし、アリエノールはヘンリー2世の死去まで、15年間の長きにわたり牢獄へ閉じ込められていたというのが史実ですので、物語のようにロザザムンドを死に至らしめることはありえないことでした。

