Photo/Krzysztof Ziarnek [CC BY SA-4.0 via Wikimedia Commons]
プリンセス・ランバーユ(Princesse Lamballe)- alba
どんなバラ?
7cmから9cm径、40弁ほどの丸弁咲きとなります。
花色はごく淡いピンクまたは白。
強く香ります。
楕円形、くすんだ、しかし明るい葉緑、多くはないけれど、フックした鋭いトゲ、150cmから180cm高さの立ち性のシュラブとなります。
育種者、育種年など
フランス、ルーアンの園芸家ニコラ=ジョゼフ・プレヴォ(Nicolas-Joseph Prevost ,fils)が1830年に発行した『バラサイバイカタログの補追(Supplément au Catalogue des Roses cultivées)』のなかでルイ・ザビエル・ジョゼフ・ミエレス(Louis Xavier Joseph Miellez père )により育種・公表されたと記載しているのが文献上の初見です。そのことにより育種は”1830年以前”とされることになりました。交配親の詳細は不明です。
ルイ・ザビエル・ジョゼフ・ミエレス(1777 – 1849)は苗木業者でありバラの育種家でした。息子のオーギュスト(Auguste)が後を継ぎましたが、息子はバラの新品種の育種は行わなかったようです。
品種名の由来など
プリンセス・ランバーユ(Princesse Lamballe)は、マリー・アントワネットの心許す女友達であった、マリー・テレーズ・ルイーズ(Marie Thérèse Louise de Savoie-Carignano, Princess de Lamballé:1749 – 1792)のことです。フランス革命の際、民衆の憎しみを買い、惨殺された悲劇的な女性です。

マリー・テレーズ(ランバル公妃)は、サヴォワ=カリニャン公ルイ・ヴィクトールの娘です。1767年にランバル公ルイ・アレクサンドル・スタニスラス・ド・ブルボン(Louis-Alexandre-Stanislas de Bourbon)と結婚しました。そのことにより、彼女はクィーン・オブ・ブルボンズ(Queen of Bourbons)、あるいはプリンセス・ド・ランバーユ(Princesse de Lamballe)と呼ばれることになりました。しかし、結婚の翌年には夫は他界してしまいました。
夫の死後、宮廷の女官となった彼女は、マリー・アントワネットの寵愛をうけやがて女官長に取り立てられます。しかし、アントワネットの寵愛は次第にポーリアック伯夫人へ移ろってしまい、女官長の地位からも退くこととなりました。
1789年にフランス革命が勃発すると、多くの貴族は亡命し、ポーリアック夫人もいちはやく宮廷から逃げ出してしまいました。しかし、マリー・テレーズ・ルイーズは、宮廷へ変わることなく忠誠を尽くし、革命の渦中にあっても常に王党派としてさかんに活動を行いました。
1792年、革命派がいよいよルイ16世一家をティレリー宮からタンブル塔へ幽閉したとき、マリー・アントワネットに仕えていた彼女も同じように捉えられ幽閉されました。
多くの貴族をギロチンへ架した民衆の憎悪は、いよいよその矛先をルイ16世一家へ向けはじめ、マリー・テレーズ・ルイーズの牢屋を襲い、彼女を凌辱し殺害してしまいました。暴徒のマリー・アントワ・ネットへの憎しみを象徴するかのように、遺体は切り刻まれ、首は当時牢囚されていたアントワネットの獄舎の窓から見えるように置かれたと伝えられています。歴史の潮流に押し流された、悲劇的な人物です。

