シギョク/紫玉(Shigyoku)- gallica
どんなバラ?
3cmから5cm径、25弁ほどのポンポン咲き、または丸弁咲きとなる花形。
暗く深い赤、熟成するとさらに色は深みを増して、パープルへと変化します。花芯は白く色抜けすることが多いのでアクセントとなります。
香りはわずか。
楕円形の少し灰色がかったつや消し葉、120cmから150cm高さほど、細い枝ぶりのシュラブとなります。小さめのクライマーとしてオベリスクやトレリスなどに誘引すると優雅です。
育種者、育種年など
何時とははっきりしていませんが、明治時代となってから、日本において、いずれかのガリカの実生などから育種された品種だと言われています。

井関十二郎『最新薔薇栽培法』(青木嵩山堂、明治36年6月)には、
「紫玉 花紫色にして千重咲き、花形極小輪なり…」
と記載されています。明治36年(1903年)にはすでに世に知られていたことが判ります。
品種名の由来など
品種名の’紫玉(シギョク)’は、パープルの花色のポンポン咲きになるからという解説が多いのですが、ずっとなにか由来があるのかもしれないと感じていました。思いいたる資料に巡り合いました。一説としてご参考にしていただければと思います。
中国の春秋時代、呉の国の話として伝わっている幽霊譚があります。(4,5世紀、六朝時代に編纂された怪奇小説集『捜神記(ソウジンキ)』)
この幽霊譚は古くから伝えられていて、数多くのバージョンがあるようですが、公表されている翻訳があるのでそちらをご照覧下さい。捜神記(ソウジンキ)』翻訳の一部、「紫玉と韓重」を引用します。
紫玉と韓重
春秋時代の呉の王、夫差には娘がおり、名を紫玉と言い、18歳で教養は高く外見も非常に美しかった。韓重と言う少年は19歳で、道術が使えた。紫玉は韓重を愛し、暗闇の中で手紙の交換を行い、韓重に嫁ぐと答えた。韓重は斉、魯周辺に学問を学びに行き、行く間際に父母に韓重のために求婚をしてくれるように頼んだ。すると、呉王は激怒し、娘を韓重に嫁がせるとは言わなかった。紫玉は失望し、死んでしまった。紫玉の亡骸は閶門(しょうもん)の外に埋葬された。
三年後、韓重が戻ってきて父母に求婚の事を聞くと、「呉王は怒り、結婚を許さなかったので紫玉は死んでしまった。すでに埋葬されている。」と答えた。韓重は非常に悲しみ、祭品を持って墓に参った。紫玉の魂魄が墓の中から出てきて韓重と会い、涙を流して、「あの年、あなたが去った後、あなたの父母が父王にあなたとの結婚のお願いをしましたが、私たちの心情を退けてしまいました。思いがけない別れの後、このような厄運にあってしまいました。どうすることが出来ましょう。」と言った。
紫玉は続けて顔を向きなおし頭を上げて、「南山上には鵲がおり、北山上には羅網がいる。鵲は早くに南へ飛んでいき、羅網はどうすればいいのか。あなたを想うが、いかんともしがたい中傷が多い。憂いが積み上がり病となり、黄泉で命を失う。運命は如何に不公平なことか。志を曲げることが明かになるのはいつであろう。山林百鳥の王、名は鳳凰と言う。一旦雄の鳳が去れば、雌の凰は三年悲しむ。鵲は沢山いるというけれども、つがいになるのは難しい。このため、再びその姿を現し、あなたと会い隙間から光を放っています。あなたと私は体は離れていますが、心は近いのです。お互いにいつ忘れることが出来るのでしょうか。」と歌った。
紫玉が歌い終わると、顔は涙で満たされていた。彼女は韓重と共に墓穴に戻ろうとしたが、韓重は、「陰間陽間は異なる世界だ。私は禍を受けるのが恐ろしいので、あなたの思いを受け取ることが出来ない。」と言った。紫玉は、「陰陽両界は同じではありません。それは私も知っています。しかし、今日分かれると、永遠に朝は戻ってきません。あなたは私がすでに鬼になっており、あなたに害をなすことを恐れているのでしょう。私は誠心誠意あなたに尽くしたいと思っています。それでも私を信じられないのですか?」と言うと、韓重はこの心情の吐露に心を動かさ、彼女を墓穴へと送りにいった。
ブログ;第十六巻:”捜神記を翻訳してみた”https://prometheusblog.net/2019/01/06/post-7690/ 2026.08.03検索
「紫色」という名前は花容を表現するのに適していると感じられるためか、バラに限らず、牡丹、クレマチスや、さらに葡萄などの品種に頻繁に使われています。

