ロベール・ル・ディアーブル(Robert le Diable)- gallica
どんなバラ?
9cmから11cm径、40弁を超える大輪のロゼッタ咲き、花形はすぐに乱れ、不定形な丸弁咲きへと変化してゆきます。
パープリッシュなカーマイン/バーガンディとなる花色。熟成するにしたがい次第に淡く色抜けしますが、花全体で静かに変化してゆくことが多いようです。
強く香ります。
くすんだ、縮緬のような”ちぢみ”が表皮に浮き出る、深い色のオオキナつや消し葉特徴です。鋭くフックしたトゲが密生する枝ぶり、90㎝から120㎝高さのこじんまりとしたシュラブとなります。大輪花であること、葉やトゲはガリカに典型的なものではなく、むしろケンティフォリアに近いと感じる研究者が多く、カーマイン/バーガンディの花色のケンティフォリアとするのが適切なのかもしれません。
育種者、育種年など
育種年は1837年以前、あるいは1850年ころとも言われて不確かなまま、育種者もわかっていません。HelpmeFindでは1837年説につながる資料提供はされていません。ここでも、頼りにしているジョワイヨ教授の解説に頼ることにします。
ロベール・ル・ディアブル(Robert le Diable)1837年以前。
樹形:ガリカ種ほど直立せず、枝はかなり丈夫だが、花の重みで弓状に垂れ下がる。多数の鉤状の棘と剛毛を持つ。樹形はガリカ種よりもセンティフォリア種に近い。
“La Rose de France”, 1998
葉:淡緑色、中~大葉、楕円形、厚く、表面に凹凸がある。
花:開花時はほぼ螺旋状。3輪ずつ房状に咲くが、まれに単生または2輪ずつ咲く。中~大、八重咲き。花弁は反り返り、萼片は長い。
花色:淡いすみれ色から紫色になり、次第に淡いすみれ色に変化する。
香り:強い。ロザリオ栽培家やバラ栽培家は、この品種をセンティフォリア種に分類することが多い。一方、我々が発見した2つの古いカタログでは、この品種は「プロヴァン(ガリカ)」に分類されている。フランスのカタログには掲載されておらず、ヘントのヴァン・ホウテとパリのシスレー・ヴァンダール(オランダとベルギーからの輸入品専門業者)のカタログにのみ掲載されているという事実から、この品種はこれら2か国のいずれかから来たものであると考えられる。1837年のシスレー・ヴァンダールのカタログには、「ロベール・ル・ディアブル」が初めて記載されている。
トーマス・リヴァース(Thomas Rivers)はその著『ザ・ローズ・アマチュアズ・ガイド(The Rose Amateur’s Guide)』(1837)の中で、
「明るく、コンパクト・サイズのダブル咲き…」と解説していて、カーマインの花色のものとの違いが顕著です。
オリジナルの品種は明るいピンク、ダブル咲きのガリカであったものの、1850年ころ、深い色合いのケンティフォリアにすり替わったのではないかとも言われています。ヨーロッパでは顧客に受けがよい品種名であることから、後出の品種がオリジナルを追いやってしまったという説です。
品種名の由来など
“ロベール・ル・ディアーブル”とは、”悪魔のロベール”という意味です。
ジャコモ・マイヤベーヤ(Giacomo Meyerbeer:1791-1864)が作曲し、1831年、パリのオペラ座で初演されたオペラ『悪魔のロベール(Robert le Diable)』にちなんで命名されました。1831年、パリのオペラ座で初演が行われ、空前の成功を収めたと伝えられています。

このオペラはドミニコ派の修道僧が伝えた説話に基づいています。
ロベールは11世紀初頭のノルマンディー公国の王でした。出生には秘密があり、実は嫡子に恵まれなかった母親が悪魔ベルトランと交わって授かった「悪魔」の息子でした。
生来残虐行為がやまないため人びとから恐れられていましたが、ある日自分の出生の秘密を知ることとなりました。
衝撃を受けたロベールは国を捨てて巡礼し、ローマで自らの業を法王に告白し贖罪の苦行を行います。そして、狂人を装ってローマの地に留まりました。
その後、サラセン人の襲撃からローマを防衛するにあたり功があったものの、修道僧として若い生涯を終えたと伝えられています。
しかし、この話は時代を下ると、父である悪魔ベルトランは地獄へ帰り、ロベールは愛する姫と結婚するというハッピー・エンドに書き換えられました。マイヤベーヤのオペラはこのハッピー・エンド版を踏襲しています。


