Photo/Rudolf [CC BY SA-4.0 via RoseBiblio]
オルフィーヌ・ド・ジュイュ(Orpheline de Juillet)- gallica
どんなバラ?
3cmから7cm径、40弁ほど、開花時、花弁は内側へカールしがちで、菊の厚物ような丸弁咲きとなります。
花色はカーマイン/バーガンディ。花色は熟成してゆくにつれ、パープルの色合を濃くしてゆきます。深い色が数多くあるガリカですが、その中でもとりわけ深い色、おそらくもっとも深い色合となるの品種です。
強い香り。
葉先がつんと尖ったつや消し葉。直立性の鋭いトゲが密生する細く固めの枝ぶり、120㎝から180㎝高さのシュラブとなります。
育種者、育種年など
1835年には市場で販売されていたことが分かっていますが、正確な育種年、育種者は不明のままです。
ガリカの性質が濃厚ですので、ガリカにクラス分けされるのが通常ですが、葉が大きめで明るい色合い、株丈も比較的大きくなるためか、ダマスクの影響があるのでは(Joyaux , “La Rose de France”など)という解説もあります。
オルフェリーヌ・ド・ジュイエ(Orpheline de Juillet)、1836年以前。
英国文献(*Peter Bealesなど)の中には、ウィリアム・ポール(William Paul)の作出とし、彼が”The Rose Garden”を出版した年と同じ1848年を作出年とするものがある。しかし、この説には疑問を呈せざるを得ない。
品種名がフランス語(*しかも歴史的な事件によっていること)
Francois Joyaux, “La Rose de France”, 1998
1836年ころにはヴィベールのカタログに記載されるなどにすでに記載されていたという事実があるからだ…
品種名の由来など
’Orpheline de Juillet ’とは、”7月の孤児”という意味です。
1830年、フランスはシャルル10世による王制が敷かれていましたが、旧貴族を重用する時代錯誤的な政策に共和主義者や市民が反発し、7月27日に叛乱が勃発、3日間続きました。この叛乱は後に「栄光の三日間」と呼ばれることとなりますが、この叛乱の際には市民の犠牲もありました。政権が倒れた後、孤児となった子供たちのため支援策が公布されました。それがこの品名の由来です。

シャルル10世が退位を余儀なくされたのち、共和主義者たちに推されて王位に就き、立憲君主制を敷いたのがオルレアンン家のルイ・フィリップ(フィリップ1世)でした。しかし、1848年の2月革命により王制は廃止され共和制へと移行し、以降フランスでは今日まで共和制が続いています。
7月革命における市民蜂起は多くの芸術作品の題材となりました。
ルーブル美術館所蔵のウジェンヌ・ドラクロアによる傑作『群衆を率いる自由の女神(La Liberté guidant le peuple)』は、この1830年7月革命を題材にしたものです。
この革命運動はヨーロッパ各地に飛び火しました。1831年、ポーランドはロシアからの独立を宣言しましたが、ロシア軍により制圧されました。
この知らせを聞いたフレデリック・ショパンは、故国ポーランドへの痛切な思いを馳せ練習曲10-12『革命のエチュードを作曲したことも広く知られています。


