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バラ、特にオールドローズが好きで名前の由来や育種の経緯などを調べています。
宿根草や葉色が美しい草花や灌木などをアレンジしたバラ咲く庭を愛でるのも長年の夢です。

ファンタン=ラトゥール(Fantin-Latour)- centifolia

Fantin-Latour

ファンタン=ラトゥール(Fantin-Latour)- centifolia

どんなバラ?

9cmから11cm径、ロゼッタ咲きとなる花形。
花色は明るいピンク、シェル・ピンクと呼ぶにふさわしい中心部が濃く染まる美しく優雅な花色です。
オールドローズ系の鮮烈な香りを放つと記述している解説書もありますが、株による変異が大きいようです。ここでは中香とカテゴライズしました。
わずかに青みをおびたような深い緑の葉は特質すべきものです。固く、トゲの少ない、120cmから180cm高さの横張り性のシュラブとなります。旺盛に生育し、ボリュームたっぷりの株になります。
耐寒性にすぐれているばかりではなく、春一季のみですが、華麗な花を咲かせる、じょうぶさと、美しい花、樹形など、均整のとれた非常に完成度の高い品種です。

育種者、育種年の由来など

1938年、園芸研究家E.A. バンヤードは英国王室園芸協会の年誌『Rose Anual』において、ファンドローズ(再発見バラ)として紹介したのが文献上での初見です。したがって、育種者、育種年および交配親などすべて不詳のままです。

英国の園芸研究家グラハム・S・トーマスは著書『The Old Shrub Roses』なかでこの品種を賞賛しています。その解説が秀逸ですのでご紹介します。

ファンタン=ラトゥール

この素晴らしいバラをどのクラスに分類すべきか判断に迷うところだ。花は明らかにケンティフォリアの特徴を備えているが、葉はチャイナローズの特徴であるスムーズさが見られる。しかし、生育と開花は典型的なケンティフォリアに非常に近く、開花期が1シーズンのみであることから、この分類(ケンティフォリア)に含めるのが最も適切だろう。
良質な土壌では、高さと幅が5フィート(約1.5メートル)ほどに成長し、美しく幅広で濃い緑色の葉を茂らせる、丸みを帯びた大きな低木となる。特に開花期には、最も美しいシュラブローズの一つと言えるだろう。
ケンティフォリア特有の魅力をたたえた花は、半開きの時は円形のカップ状で、淡いピンク色をしており、中央のひだには温かみのある濃いピンク色が差す。成熟すると外側の花弁は反り返り、花芯はカップ状のまま残る。
この段階での美しさは他に類を見ることはできない。あらゆる点で非常に満足のいくバラであり、芳しい香りを放つ。

私はある庭園でこのバラを見つけたが、当時は名前が知られておらず、”最高の庭園バラ(The Best Garden Rose)”というラベルが貼られていた。そのため、このバラは偉大なフランス画家の名にちなんで名付けられるにふさわしいと言えるだろう…

“The Old Shrub Roses”, Graham Stuart Thomas, 1985

品種名の由来など

Henri Fantin-Latour Self portrait
“Henri Fantin-Latour, Self-portrait (1860)” [Public Domain via Wikimedia Commons]
"Summer Flowers" Painting/Henri Fantin-Latour
“Summer Flowers” Painting/Henri Fantin-Latour [Public Domain via Wikimedia Commons]

ファンタン=ラトゥール(Henri Fantin-Latour:1836 – 1904)はバラなど花を主題にした多くの静物画を残したフランスの画家です。
画題としては、静物画の他、肖像画、画家仲間の群像やギリシャ・ローマ神話の挿話など広い分野におよびました。
どんな画題でもそつなくこなす器用さがかえって災いとなったのか、故国フランスではあまり人気がありませんでしたが、”ルドゥテの再来”と評される美しい静物画が英国で高い評価を得るようになってから著名な画家のひとりとなりました。

ファンタン=ラトゥールの死去の様子を伝える興味深い記事をご紹介しましょう。
写真家で作家のデレク・フェルが、1999年12月号の「ヌーヴォー」誌に、自身の著作『印象派のバラ(Impressionist Roses)』の書評に寄せた記事だとのことです。

(わたしは)プリンストン大学美術館で、印象派の中でもあまり知られていないファンタン=ラトゥールに関する参考書を11冊も見つけました。
ある本には彼がパリのアパートで亡くなったと書かれていましたが、別の本には、彼がバラ園を耕していたビュール村の週末別荘クロワ・ファンタンで亡くなったと書かれていました。好奇心に駆られ、私はビュールへと向かい、教会の墓地で彼の墓を見つけました。彼のコテージの手がかりを探して、狭く曲がりくねった田舎道を車で走っていると、生垣から突き出た真鍮製の光り輝く十字架が目に入りました。
車を私道に停めると、ボストンアイビーに覆われた美しいレンガと木造の家のテラスで、家族が昼食をとっていました。家の持ち主は、成長した3人の子供とその配偶者たちと家族の再会を祝っており、確かにここがファンタン=ラトゥールの田舎の家だったことを確認しました。そして、テラスの向こうに広がるバラ園で彼が亡くなったのも事実でした。その場所は現在、ほとんど芝生になっています。彼はテラスで昼食をとっている最中に体調を崩し、庭に出てバラの中で倒れたのだそうです。

Comment, Derek Fell

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