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バラ、特にオールドローズ、ランブラーが好きです。
品種名の由来や込められた思い、あるいは背景となった物語、
また、育種者が生きた時代などへの想像をふくらませる作業などを続けています。
バラと宿根草や、葉色が美しいリーフプランツや灌木などを配置したコテージガーデンの作庭も夢見ています。

ガリカ、いちばん古いオールドローズ?④~黎明期/デスメ

『ガリカ②~黎明期/育種のはじまり』および『ガリカ③~黎明期/シュワルツコフ』では、昔からフランス産と思われていた初期のガリカのうちかなり数は実はドイツ、オランダ、ベルギーにおいて育種されていたようだと解説しました。
今回はフランス、オリジナルのガリカについての解説です。例によって頼りにするのはジョワイヨ教授の『ラ・ロズ・ド・フランス(La Rose de France)』です。

ジョワイヨ教授によるデスメ(Descemet)の紹介

ナポレオン没落後に世に出たガリカはオランダ・ベルギー地方からやってきたものが多いと述べた後、「しかし…」とジョワイオ教授は続けます。(以下かなり意訳です)

…そのほかのガリカは純フランスのもので、最初の偉大なガリカ・コレクションはジョゼフィーヌ皇妃の手元にあったものと、パリ近郊の4人の偉大な園芸家のものだった。4人の園芸家とは次にあげる人たちである。

パリのヴィルモラン(Vilmorin)とデュポン(Du Pont)
ヴィル・ダブレイ(Ville d’Avray)のゴドフロワ(Godfroy)
サン・デニ(Sant-Denis)のデスメ(Descemet)

しかし、ヴィルモラン、デュポン、ゴドフロワはともに、おそらく自身では育種はしていなかったと思われる。つまり、第一帝政時代(ナポレオン1世の時代)に偉大なガリカ育種者であったのはジャック=ルイ・デスメ(Jacques-Louis Descemet)ひとりだったということだ。

…デスメ育種品種は彼の資産を受け継いだヴィベールの正直なリスト・アップによって正確に伝えられている(*下記註)
デスメのコレクションは250におよぶ原種と栽培種だったが、その3分の2は彼(デスメ)が育種したガリカだった…
ヴィベールは1819、20、22および1824年の自農場のカタログにデズメ育種の209種をリスト・アップし、そのうち143種はガリカであると記載した。現在、栽培されているのは次の品種である。

  • アデール(Adèle)- before 1815
  • ベル・プルプレ・ヴィオレット(Belle pourpre violette)- before 1811
  • ベル・ビブリ(Belle Biblis)- before 1815
  • ファニー・ビア(Fanny Bias)- before 1811
  • ベル・フローラ(Belle flore)- before 1813
  • アンペラトリス・ジョゼフィーヌ(Impératrice Joséphine)- before 1815
  • ベル・ガラテ(Belle Galathée)- before 1815
  • ラ・グロワール・デ・ジャルダン(La Gloire des Jardins)- before 1815
  • ベル・エレーヌ(Belle Hélène)- before 1815
  • ル・グロン・スルタン(Le Grand Sultan)- before 1815(現在はデスメ作出ではないだろうとされています。詳細は文末で)

(*註:デスメの後を受けた育種家ジャン₌ピエール・ヴィベールは1819年から不定期に自社農場で生産販売しているバラ品種のリストを発行していましたが、リストの品種名にはデスメから引き継いだ証として”D”というマークを残していました)

ジャック=ルイ・デスメ(Jacques-Louis Descemet )

(*以下の品種解説は『ジャック=ルイ・デスメ黎明期のバラ育種家』-現在非公開-を修正・追記したものになります。なお、デスメ育種の品種はガリカが主体ですが、いちぶケンティフォリア等別クラスの品種も含まれています)

幼少期からパリ郊外に園芸農場を開くまで

フランスにおいて最初に本格的にバラ育種に取り組んだのが、ジャック=ルイ・デスメ(Jacques-Louis Descemet:1761-1839 )だったと言われています。

デスメは1761年パリに生まれました。生家は16世紀から続く薬草園ジャルダン・デ・ザポティケール(Jardin des Apothicaires;‘薬剤師の庭’)を代々管理していました。
1793年、フランス革命の嵐は止むことなく吹きつのっていました。1月には国王ルイ16世、10月には王妃マリー・アントワネットが刑死、パリには革命裁判所が設置され、反革命の烙印を押された政治犯たちがつぎつぎにギロチンに科刑されていた時代でした。
この年、デスメは薬草園を売却し、パリ北東郊外のサン=ドニ(Saint-Denis)に農場を開設しました。32歳のころです。

1914年ころのサン=ドニの園芸農場(デスメが保有していた農場ではありません)
‘1914年ころのサン=ドニの園芸農場(デスメが保有していた農場ではありません)’ [Public Domain via. Wikipedia Commons]

フランスの時代背景と最初のバラ育種家として

1804年、共和制の擁護者として登場した英雄ナポレオンはフランス国民の絶対的な支持を集め、次第に皇位に就こうという野心にとらわれるようになりました。その年の末には国民の賛同を得て、皇帝として絢爛たる戴冠式を催すことになります。

デスメはこのころ41歳、バラ栽培に取り組むようになりました。また、政治活動にも熱心で、1809年にはサン=ドニの市議会議員となり、1812年から1814年は市長をも務めあげました。

デスメはまた名高いジョゼフィーヌのバラ・コレクションのために、パリや近郊で活動していたヴィルモラナンドルー(Vilmorin-Andrieux)、デュポン(Andre Du Pont)やコドフロワ(Codfroy)とともに多くの品種を提供したと言われています。
デュポンなどはバラ研究家として高名でしたが育種は行っていませんでした。デスメこそフランスにおける先駆的な、事実上、最初のバラ育種者であったと評されています。

時代の流れに翻弄され、ついに亡命

1815年は常勝をほこった皇帝ナポレオンがついにプロシャ、ロシア、イギリスなどの対仏同盟軍に敗れ、権力の座から転げ落ちた時代でした。退位してエルバ島へ追放されたナポレオン1世は、同年、パリへ舞い戻って再び皇位に就きましたが、ワーテルローにおいてイギリス・プロシャ連合軍に決定的な敗北を喫し、再び退位を余儀なくされました。(百日天下)
百日天下の前、からくもパリから逃れていたルイ18世は再びパリへ戻り、同盟軍の支援のもと再び王位に就きました。

このとき、サンドニのデスメ農場は侵攻したイギリス軍によって蹂躙されてしまいました。また、デスメ自身も進歩的な政治思想を信奉していたことが影響したのか(当時先鋭的な政治思想家たちの集まりだったフリー・メイソンのメンバーだった)、復古王制政府から国外追放に処せられてしまいました。
パリを追放されたデスメはロシア帝国、黒海沿岸の港湾都市オデッサ(現ウクライナ)へと亡命しました。同地で1820年に開設された植物園の管理にたずさわるようになり、1839年、同地で没するまで従事しましたが、再びバラの育種にたずさわることはありませんでした。(享年78歳)

バラ育種史に残したデスメの功績

資産、資料を譲渡されたヴィベールから知るデスメ育種のバラ

『バラの命名とクラス分けに関する考察(Observations sur la Nomenclature et le Classement des Roses)』

1815年、デスメが保持していた交配種、ノートなどの主な資材・資料は、パリで園芸店を営んでいたジャン=ピエール・ ヴィベール(Jean-Pierre Vibert)へ譲渡されました。それらは、バラ交配に関するノートと実株コレクション250種であったと伝えられています。

バラ250種のうち3分の2(160から170種)はデスメが交配を行ったオリジナルだったとのこと。
別名をつけて市場へ提供されたものも中にはあったようですが、ヴィベールはデスメに恩義を深く感じていたのでしょう、1820年から不定期に発行していたバラ・カタログ『バラの命名とクラス分けに関する考察(Observations sur la Nomenclature et le Classement des Roses)』のなかで”D”とマークしてデスメの作出品種としています。

ジョワイヨ教授がリストアップしたデスメ育種品種は今日でも入手可能なものが多いです。

育種した主な品種

前述のとおり、デスメが育種した品種は1815年にヴィベールへ移譲されたため、詳細な育種年はわかっていません。一部、早くから知られていた品種を除き、ほとんどは”育種年1815年以前”という表示になってしまいました。
今日、デスメにより育種された品種は40種前後が残されていますが、それらの美しい花姿は今日でも多くのバラ愛好家の讃嘆を集めています。ここでは、比較的知られていて入手可能なものをリストアップしました。

  • タリア・ラ・ジェンティーユ(Thalie La Gentille)- gallica
  • アグライア(Aglaïa)- centifolia/gallica
  • ベル・フロール(Belle Flore)- gallica
  • ファニー・ビアス(Fanny Bias)- gallica
  • アデル・デスメ(Adèle Descemet)- gallica
  • エロイーズ(Héloïse)- gallica
  • ボー・プルプル・ヴィオレ(Beau pourpre violet)- gallica
  • ベル・エレーヌ(Belle Hélène)- gallica
  • アガタ・ファティム(Agathe Fatime)- gallica
  • ラ・グロワール・デ・ジャルダン(La Gloire des Jardins)- gallica
  • クローリス(Chloris)- alba/gallica
  • アンペラトリス・ジョゼフィーヌ(Impératrice Joséphine)- gallica/その他OGR
  • ベル・ビブリス(Belle Biblis)- gallica
  • ベル・ガラテ(Belle Galatée)- gallica

タリア・ラ・ジェンティーユ(Thalie La Gentille)- gallica

5cmから7cm径、40弁を超えるカップ型・ロゼッタ咲きとなります。しばしば花芯に緑芽が生じます。
花色は、ミディアム・ピンクまたはディープ・ピンク、時にビビット・ピンクになるなど変化が大きく、また、花弁の外縁は淡く色抜けします。数輪の”連れ”咲きとなることも多く、中輪花ですが、非常に優雅です。
強い香り。
大きめなつや消し葉。フックした鋭いトゲ、150cmから時に200cm高さとなる直立性のシュラブ。ガリカにクラス分けされることが多いのですが、トゲの様子、樹形などにはダマスクの影響が強く出ているという研究者の記述もあります。
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育種者、育種年など

1811年、クロード-トマ・グラパン(Claude-Thomas Guerrapain)が刊行した『婦人のためのバラ年誌(Almanach des Roses, dédié aux dames)』というバラ解説本のなかで詳細に記述されていることから、同年には市場へ出回っていたことが判明しています。

品種名の由来~ギリシャ神話の三女神について

タリア・ラ・ジャンティーユ(優しい女神タリア)という品種名はイタリア、ルネッサンス期の大画家サンドロ・ボッティチェリ(Sandro Botticelli:1444-1510)が1482年頃描いたとされる、春(La Primavera)で描写された”三美神(タリア、ユーフラシーヌ、アグライア)”のうちのひとりです。

デスメはこのクローリスに加え、残りの二美神、ユーフラシーヌ・レレガント(Euphrosyne l’élégante)およびアグライア(Aglaïa)にちなんだバラを育種・公表しています。
(なお、ユーフラシーヌ・レレガントは本来の株は消失したものとみなされています)

ボッティチェッリ『春;Three Graces in Primavera』部分図、三美神
“Three Graces in Primavera” Painting(Detail)/Sandro Botticelli [Public Domain via Wikimedia Commons]

アグライア(Aglaïa)- centifolia/gallica

7cmから9cm径、35弁前後カップ型となる花形、花芯にグリーンアイができることもあります。
花色はパープリッシュ・ピンク。
強い香り。
縮み気味の大きなつや消し葉、小さなトゲが密生する茎、150cmから180cm高さの中型のシュラブとなります。
濃いめの花色からかガリカにクラス分けされることもありますが、大きな縮れ気味の葉などがケンティフォリア・ブラータに似ていることからケンティフォリアにクラス分けされることのほうが多いようです。
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育種者、育種年など

この品種もタリア・ラ・シャンティーヌと同様、1811年、クロード-トマ・グラパン(Claude-Thomas Guerrapain)が刊行した『婦人のためのバラ年誌(Almanach des Roses, dédié aux dames)』というバラ解説本のなかで詳細に記述されていることから、同年には市場へ出回っていたことが判明しています。

品種名の由来~ギリシャ神話の三女神について

アグライアはギリシャ神話に登場する女神です。ユーフラシーヌ・レレガント(Euphrosyne l’élégante)とタリー・ラ・ジャンティーユ(Thalie La Gentille)を加えた三女神を”美と愛”を象徴するものとして、古くから絵画などの題材とされています。

三美神はたびたび絵画や彫刻の題材とされ、多くの作品が残されてること、また、サンドロ・ボッティチェッリの傑作『春(プリマヴェーラ)』の三美神を描いた部分にタリア・ラ・ジェンティーユとともに描かれていること、上述の通りです。

ベル・フロール(Belle Flore)- gallica

5cmから7cm径、40弁を超えるカップ型・ロゼッタ咲きとなります。しばしば花芯に緑芽が生じます。
花色は、ミディアム・ピンクまたはディープ・ピンク、時にビビット・ピンクになるなど変化が大きく、また、花弁の外縁は淡く色抜けします。数輪の”連れ”咲きとなることも多く、中輪花ですが、非常に優雅です。
強い香り。
大きめなつや消し葉。フックした鋭いトゲ、150cmから時に200cm高さとなる直立性のシュラブ。ガリカにクラス分けされることが多いのですが、トゲの様子、樹形などにはダマスクの影響が強く出ているという研究者の記述もあります。
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育種者、育種年など

1811年以前にジャック=ルイ・デスメ(Jacques-Louis Descemet)によって育種されたとみなされています。

ジャン₌ピエール・ヴィベール(Jean-Pierre Vibert)によるバラ・カタログ『Observations sur la Nomenclature et le Classement des Roses(バラの命名法と分類に関する考察)』の1820年版に”D”(デスメ育種)としてリストアップされていることで、デスメが育種したことが明白です。
また、1814年に刊行された『フランス農業年報(Annales de l’agriculture française)』にも品種名の記載があり、これらのことから1814年以前、デスメにより育種されたと判定されました。

品種名の由来など

ボッティチェッリ『春;Three Graces in Primavera』部分図、フロール
“Primavera ” Painting Botticelli [Public Domain via Wikimedia]

‘ベル・フロール(美しい女神フロール)’は、’タリア・ラ・ジェンティーユ’と同じように、イタリア、ルネッサンス期の大画家サンドロ・ボッティチェリ(Sandro Botticelli:1444-1510)が1482年頃描いたとされる、春(La Primavera)で描写された”愛の女神フロール(左側)”ののことです。

なお、次にご紹介する品種’クローリス’もこの絵画にちなんで命名されたものだと思います。

クローリスはギリシャ神話に登場するニンフ。ギリシャの詩人オウィディウスによる長編詩『祭暦』のなかで、クローリスは西風の神ゼピュロスによって捉えられ、花の女神フローラに変身したと語られています。
この詩の記述を受け、。これを受け、ボッティチェリはクローリス、クローリスを誘惑する西風の神セピュロス、そして変身した花の女神フローラを描いています。

クローリス(Chloris)- alba/gallica

9cmから11cm径、ルーズなロゼッタ咲きとなり花芯に緑芽ができることもあります。
花色は淡いピンク、中心部は色濃く染まり、外縁部の淡い色合いとのの対比が実に優雅です。
強く香ります。
幅広の、深い葉緑、固く強い枝ぶり、120cmから180cm高さのシュラブ。
春一季咲き。明るい花色ゆえアルバにクラス分けされることが多いですが、ピンクのガリカとする研究家もいます。
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育種者、育種年

この品種もジャン-ピエール・ヴィベール(Jean-Pierre Viber)が1820年から発行していたバラ解説書『バラの命名とクラス分けに関する考察(Observations sur la Nomenclature et le Classement des Roses)』の1820、1830年版に品種名クローリス(Chloris)、デスメ作出として記載されています。育種年は”1815年以前(どれだけ遡れるかは不明)”とされています。

フランスのグラブローの記載ミスにより「ピンクのガリカ」とされてきた経緯もありますが、花色、花形などからアルバとするのた適切だと思います。

ファニー・ビアス(Fanny Bias)- gallica

9cmから11cm径の大輪、40弁をこえる浅いカップ型・ロゼッタ咲きとなることが多いです。
花色はラベンダー・シェイド気味の明るいピンク、外輪が淡い色合になることが多い美しい品種です。
微香。
明るい色合いのつや消し葉、大きいトゲはほとんどありませんが、繊毛が株肌をおおっています。120cmから150cm高さのシュラブ。
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育種者、育種年および品種名の由来など

ジャック=ルイ・デスメにより1811年以前に育種されたとみなされています。その美しさゆえでしょう、デスメの育種品種のなかでは早い時期から知られていたようです。

ファニー・ビアス(Fanny Bias)
”Fanny Bias”、Lithograph/Godefroy Engelmann [Public Domain via Wikimedia Commons]

デスメが育種した当初はラ・プル・ベル(La plus Belle:”最上の美”)と命名したようです。
デスメが育種したものの、ヴィベールがデスメから資産を受け継ぐ以前に、他の農場からアタリ(Atalie)、デュセス・ド・レジオ(Duchesse de Reggio)という品種名で出回っていたものを、ヴィベールが改めて入手し、1818年に販売開始する際に当時の著名なダンサーであったファニー・ビアス(1785-1825)の名を冠したというのが真相ではないかと思います。
デスメ育種品種ですが、ヴィベールは直接的に受け継いだわけではなく、デスメ作出の品種であるという認識はなかったのではないでしょうか。

ジャン-ピエール・ヴィベール(Jean-Pierre Viber)が1820年から発行していたバラ解説書『バラの命名とクラス分けに関する考察(Observations sur la Nomenclature et le Classement des Roses)』の1820年版では、ラ・プル・ベルとファニー・ビアは別品種としてリストアップしていますので、本来は別の品種だったのかもしれません。

アデル・デスメ(Adèle Descemet)- gallica

9cmから11cm径の大輪、40弁をこえる花弁が密集するロゼッタ咲き。
花色はパープリッシュなミディアム・ピンク、外弁は淡く色抜けします。また、非常に濃色になったり、班模様がでることがあるなど色変化が生じやすいようです。
早朝の香りは濃厚だとの記述がありますが、強香とまでは言えないようです。中香とします。
卵形のつや消し葉、小さなトゲが密生する細めの茎、120cmから150cm高さの比較的小さなシュラブとなります。
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育種者、育種年など

ジャン₌ピエール・ヴィベール(Jean-Pierre Vibert)によるバラ・カタログ『Observations sur la Nomenclature et le Classement des Roses(バラの命名法と分類に関する考察)』1820年版にリストアップされていたのがこの品種の文献上での初見となります。
リストには”Adele(D)”と記載されていて、デスメ作出であることが明白です。
デスメがヴィベールに資産を譲渡したのが1815年、そのことから、育種年は1815年以前とされています。

エロイーズ(Héloïse)- gallica

7cmから9cm径、40弁を超える丸弁咲きとなります。しばしば花芯にグリーンアイが生じます。
花色は、ミディアム・ピンク、花芯は少し濃色気味となります。また、花弁には縦縞のような濃淡が出ることが多く、忘れがたい印象を受けます。
強い香り。
大きめなつや消し葉。剛毛のような小さなトゲが密生した枝ぶり、120cmから180cm高さのシュラブとなります。
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育種者、育種年など

ジャン₌ピエール・ヴィベール(Jean-Pierre Vibert)によるバラ・カタログ『Observations sur la Nomenclature et le Classement des Roses(バラの命名法と分類に関する考察)』の1820年版に”D”(デスメ育種)としてリストアップされていることで、デスメが育種したことが明白です。また、ヴィベールがデスメのバラ資産を受け継いだのが1815年でしたので、育種年は”1815年以前(どれだけ遡れるかは不明)”とされています。

アベラールとエロイーズ
アベラールとエロイーズ

12世紀に生き、ラテン語、ギリシャ語、ヘブライ語に堪能な聡明で美しい女性アルジャントゥユのエロイーズ(Héloïse:1090or1100-1164)にちなんで命名されたのではないかと感じています。

エロイーズは著名な神学者、哲学者であるピエール・アベラール(Pierre Abélard:1079-1142)との恋愛関係になり、子をもうけますが世間からは受け入れられず、アベラールはパリを離れ、エロイーズは修道院に入って世俗から離れることになりました。
二人の人となりは
『愛の往復書簡 アベラールとエロイーズ』、沓掛良彦横山安由美訳、岩波文庫、2009。ISBN 9784003211922
で知ることができます。

ボー・プルプル・ヴィオレ(Beau pourpre violet)- gallica

5cmから7cm径の中輪、40弁を超える丸弁咲きまたはカップ型となる花形。
カーマイン/バーガンディであった花色は熟成するにつれて赤みが薄れ、濃いめのモーヴ(藤色)へと移ってゆきます。
香りは中程度。
卵型のつや消し葉。剛毛のような小さなトゲ、90cmから120cm高さの小さなシュラブとなります。
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育種者、育種年など

この品種も、’エロイーズ’と同様、ジャン₌ピエール・ヴィベール(Jean-Pierre Vibert)によるバラ・カタログ『Observations sur la Nomenclature et le Classement des Roses(バラの命名法と分類に関する考察)』の1820年版に”D”(デスメ育種)としてリストアップされています。育種年は”1815年以前(どれだけ遡れるかは不明)”とされています。

ベル・エレーヌ(Belle Hélène)- gallica

9cmから12cm径の大輪、40弁を超えるロゼッタ咲き。花弁がみだれがちで、それがかえってエキゾックな印象を醸していて魅力的です。
花色はミディアム・ピンク、花芯は色濃くそまることが多いです。
微香。
卵形のつや消し葉。ほとんどトゲがない枝ぶり、90cmから120cm高さの小型のシュラブとなります。

ピンクのガリカとされることが多いのですが、大輪咲きゆえでしょうか、ダマスク・パーペチュアルにクラス分けする研究者もいるようです。春一季咲きですので、間違いかもしれません。
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育種者、育種年など

この品種もジャン-ピエール・ヴィベール(Jean-Pierre Viber)が1820年から発行していたバラ解説書『バラの命名とクラス分けに関する考察(Observations sur la Nomenclature et le Classement des Roses)』の1820、1824、1826年版に品種名ベル・エレーヌ(Belle Hélène)、デスメ作出として記載されています。それゆえ、育種年は”1815年以前(どれだけ遡れるかは不明)”とされています。

この品種の特別の美しさ故でしょう、多くの別名があります。
‘エーマブル・エマ(Aimable Emma)’
‘エーマブル・ゾフィー(Aimable Sophie)’
‘アルシデューク・シャルル(Archiduc Charles)’
‘クレマンス・イゾール(Clémence Isaure)’
などです。

これらの品種名のうち、ベル・エレーヌ、エマーブル・ゾフィーとクレモンス・イゾールの三つはヴィベールの1820年版『バラの命名とクラス分けに関する考察』においてはそれぞれ別の品種としてリストアップされています。これらがはたして本来別品種であったのか、それとも同一品種の別名称であったのかはよく分かっていません。

品種名エレーヌについて

トロイのヘレネ(Helen of Troy)

エレーヌはギリシャ神話で語られる”世界でもっとも美しい女性”ヘレネに由来するフランスの女性名です。
ただ、この品種がヘレネにちなんで命名されたのかどうかははっきりしていません。

神話はご存じの方が多いと思います。

そもそもヘレネの実父はゼウス。ゼウスはスパルタ王テュダレオースの妻レダにが傷ついた白鳥に化けて言い寄った末に生まれた娘です。
ヘレネはスパルタ王メネラーオスの妻となりましたが、「パリスの審判」による褒美として与えられたのが世界一の美女ヘレネでした。
ヘレネを取り返すべくギリシャ勢がトロイの城を囲んで攻防戦を繰り返したのがトロイ戦争。
トロイの陥落後、故国に返る道に迷い数々の困難や冒険をかたったのがホメロスの『オデッセイア』です。

アガタ・ファティム(Agathe Fatime)- gallica

7cmから9㎝径の中輪、40弁を超えるロゼッタ咲き。
花色は変化が大きく、ディープ・ピンクからほとんどクリムゾンと呼べるほど濃色になったりします。
中程度の香り。
卵形のつや消し葉。ほとんどトゲがない枝ぶり、120cmから180cm高さの中型のシュラブとなります。
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育種者、育種年など

この品種も、ジャン-ピエール・ヴィベール(Jean-Pierre Viber)が1820年から発行していたバラ解説書『バラの命名とクラス分けに関する考察(Observations sur la Nomenclature et le Classement des Roses)』の1820年にデスメによる作出というコメント付きでリストアップされています。それゆえ、育種年は”1815年以前(どれだけ遡れるかは不明)”とされています。

Fatime/Fatimaは主にアラビア系の女性名とのことですが、デスメがどんな女性にちなんで命名したかは不明です。

ラ・グロワール・デ・ジャルダン(La Gloire des Jardins)- gallica

7から9㎝径の中輪、40弁ほど。カップ型・ロゼッタ咲き。
カーマイン/パープルから次第に色抜けしてモーヴ(藤色)気味に変化してゆく花色。花弁には濃淡の縞模様が生じることが多いです。
強香。
卵型のつや消し葉。小さいけれど針のように直立性のトゲが密生する枝ぶり、120cmから150cm高さのシュラブとなります。
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育種者、育種年など

この品種も、ジャン-ピエール・ヴィベール(Jean-Pierre Viber)が1820年から発行していたバラ解説書『バラの命名とクラス分けに関する考察(Observations sur la Nomenclature et le Classement des Roses)』の1820、1822、1831年版にデスメによる作出というコメント付きでリストアップされています。それゆえ、育種年は”1815年以前(どれだけ遡れるかは不明)”とされています。

アンペラトリス・ジョゼフィーヌ(Impératrice Joséphine)- gallica/その他OGR

7cmから9cm径ほどの中輪、オープン・カップ形、または丸弁咲きとなります。花弁がすこし乱れ気味となることが多い花形です。
花色はミディアム・ピンク、少しグレーイッシュな色合いが入っています。外輪部は淡く色抜けすることが多いです。
強く香ります。
楕円形の、くすみのある深い葉緑、120cmから180cm高さほどの比較的中型のブッシュとなります。枝ぶりは細く、しなやかでトゲの少ない品種です。
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7cmから9cm径ほどの中輪、オープン・カップ形、または丸弁咲きとなります。花弁がすこし乱れ気味となることが多い花形です。
花色はミディアム・ピンク、少しグレーイッシュな色合いが入っています。外輪部は淡く色抜けすることが多いです。
強く香ります。
楕円形の、くすみのある深い葉緑、120cmから180cm高さほどの比較的中型のブッシュとなります。枝ぶりは細く、しなやかでトゲの少ない品種です。

育種者、育種年など

デズメ作出とされる品種のうち、もっとも有名なのがこの品種だと思います。フランス産なので、ここではオリジナル名で表記しましたが、一般的には、英語表記「エンプレス・ジョゼフィーヌ」のほうで広く知られています。

ガリカにクラス分けされることが多いのですが、葉や株の様子は典型的なガリカ・クラスのものではありません。
葉の様子などは、原種交配種である、ロサ・クロス・フランコフルターナ(Rosa x francofurtana)と類似しているため、その交配種を用いて育種されたのではないかと考えられ、そして、たびたび引用しているヴィベールが発行したカタログにも育種したのはデスメであると記載されています。

ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ(Joséphine de Beauharnais:1763-1814)

ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ
Portrait of Joséphine de Beauharnais Painting/Gérard [Public Domain via Wikimedia Commons]

アンペラトリス(”皇后”)・ジョゼフィーヌとはナポレオンの最初の妻、ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ(Joséphine de Beauharnais:1763-1814)のことです。彼女がバラ育種について大きな貢献をしたことは広く知られています。
そのことは『ジョゼフィーヌ~バラを愛したナポレオン皇妃』でまとめていますので、詳細はそちらをご参照ください。

ジョゼフィーヌ~バラを愛したナポレオン皇妃 ジョゼフィーヌ~バラを愛したナポレオン皇妃

ベル・ビブリス(Belle Biblis)- before 1815

7から9㎝径の中輪、40弁ほど。開花はじめはカップ型、熟成するにしたがい丸弁咲きへと移ってゆきます。
ビビット・ピンクから次第にパープリッシュな色合いが出てモーヴ(藤色)といってよい花色へ変化します。
強香。
120cmから150cm高さのシュラブとなります。
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育種者、育種年など

この品種もジャン-ピエール・ヴィベール(Jean-Pierre Viber)が1820年から発行していたバラ解説書『バラの命名とクラス分けに関する考察(Observations sur la Nomenclature et le Classement des Roses)』の1820年版にデスメ作出として記載されています。それゆえ、育種年は”1815年以前(どれだけ遡れるかは不明)”とされています。

ビブリス(Biblis/Byblis)をめぐる神話

ビブリス(Biblis/Byblis)はギリシャ神話に登場する若い娘です。
兄であるカウノスに恋をして、一緒になることを強く願い、なんども言い寄るがその度に拒絶され、兄カウノスはついには妹を避け国を去ろうとします。
ビブリスは兄を追いかけ続けます。しかしやがて疲労困憊して倒れ、みずからの涙に溶けて泉に変わってしまったと伝えられています。(Wikipedia etc.)

ベル・ガラテ(Belle Galathée)- gallica

7から9㎝径の中輪、40弁を超える、カップ型ロゼッタ咲きとなります。
花色は明るく澄んだライト・ピンク。外縁が淡く色抜けしたり、また時には全体がほとんど白、あるいはわずかに刷いたように淡いピンクとなることもあるようです。
強香。
120cmから150cm高さのシュラブとなります。小さな茶褐色のトゲが密生する細いけれど固めの枝ぶり、卵型の明るいつや消し葉などは典型的なガリカの特徴を示ことからガリカにクラス分けされています。
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育種者、育種年など

ジャン₌ピエール・ヴィベール(Jean-Pierre Vibert)によるバラ・カタログ『Observations sur la Nomenclature et le Classement des Roses(バラの命名法と分類に関する考察)』1820、1826、1831年版に(D;デスメ作出)としてリストアップされています。それゆえ、育種年は”1815年以前(どれだけ遡れるかは不明)”とされています。

育種年が古い品種ですが、当時、ガリカというとパープルやクリムゾンという濃厚な花色の品種ばかりでした。この時代に淡いピンクのガリカが存在していたことには驚きを隠せません。

ガラテ/ガラテア(Galathées/Galatea)をめぐる神話と芸術

『マイ・フェア・レディ』におけるオードリーヘップバーン
Photo/Cecil Walter Hardy Beaton [Public Domain via Wikimedia Commons]

品種名のベル・ガラテはギリシャ神話に登場するニンフ、ガラテイア(Garateia)から来ています。「乳白色の肌をもつ者」という意味を含んでいるとのことです。(Wikipedia)

じつはガラテイアにちなむ神話には三つの話があります。①海神ネ―レウスの娘(ニンフ)としてのガラテア
②キプロスの王ピュグマリオーンに愛された彫像であるガラテア
③生まれた娘を夫が望む男児として育てやがて神の力を受けて性転換をなしとげる女ガラテア

②にピュグマリオンに愛された彫像としてのガラテアは後代の多くの芸術家の想像力を刺激しました。
フランツ・フォン・スッペのオペレッタ『美しきガラテア』
バーナード・ショーが戯曲『ピグマリオン』は言語学者がコクニー(ロンドンの下町訛り)の花売り娘を貴婦人に仕立て上げる話でした。この戯曲をもとにしたミュージカルが名作『マイ・フェア・レディ』です。

参考資料:かつてデスメ作出とされていたものの現在は除外されている品種

ル・グロン・スルタン(Le Grand Sultan)

表示可能な画像ありません

どんなバラ?

11cmから13㎝径の大輪、40弁ほどのカップ型となる花形。
花芯はストロング・ピンク、弁の縁は淡く色抜けする花色となります。
強い香り。
トゲの少ない、120㎝から180㎝高さの直立性のシュラブとなります。
ガリカにクラス分けされることが多いですが、大輪花ゆえか、ケンティフォリアとされることもあります。

不確かな育種年、育種者

育種者、育種年については2説あり、まだ確定的ではないようです。

1815年以前、育種者ジャック=ルイ・デスメ(Jacques-Louis Descemet )説
ジャン-ピエール・ヴィベールの『バラの命名とクラス分けに関する考察(Observations sur la Nomenclature et le Classement des Roses)』の1820年版に、デスメ作出として記載されていたことから1815年以前、デスメ作出とされていました。

1799年以前、育種者不明説
ところが、メアリー・ローレンス(Mary Lawrence)によるのバラ画集『自然界におけるバラ・コレクション(A Collection of Roses from Nature)』のなかに”Sultan Rose”というケンティフォリア図があることが見いだされ、従来のデスメ育種説には否定的な見解が出されるようになっています。

ヴィベール・カタログ・1820
スルタン・ローズ(Sultan Rose)
’Sultan Rose’ Illustration/Mary Lawrence, “A Collection of Roses from Nature” 1799 [Public Domain via The New York Public Library Digital Collections]

1799年という年には、デスメもすでに育種に携わっていた時期ではないかと想像され、彼の初期の作出種の可能性もあるのですが、他の品種年予想よりもかなり早いので、
「1799年以前、育種者不明」とするのが適切だとする新説です。個人的にはこの解釈に組したいと思っています。

別名、セレスト(Céleste)をめぐる混乱

このル・グロン・スルタンはは下記のような別名で呼ばれることもあります。
セレスト(Céleste)
グロン・ターバン(Grand Turban)
スルタン・ローズ(Sultan Rose)

やっかいなのはCélesteという品種名です。”天空”という意味あいのためか、品種名として人気があり、同名・異種があります。

頼りにしているジョワイヨ教授は、デズメ育種とされていても今日残されている品種は実際には育種当初に記述された詳細とは違うものがかなりの程度あると述べています。
「ザンガーハウゼンに残されているものも不確かなものがあるし、デズメの後の時代に育種されたものが彼の作出として出回っている例もある…」
ジョワイオ教授はさらにこうしたことを確かめるすべはもう見出すことができない(確かな資料を見つけるのは困難だろう)と加えています。

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