ルイ・パルメンティエ(Louis-Joseph-Ghislain Parmentier:1782-1847)
ガリカの育種の流れについて、これまで『ガリカ、いちばん古いオールドローズ?』と題して、年代順に①から⑤までたどってきました。
1840年代に入ると、バラの育種には、中国・インドから導入されたチャイナやブルボンという頻繁に返り咲きする品種が育種の系統へ取り込まれるようになり、ガリカなど一季咲きの品種は育種の中心的な潮流から外れるようになりました。
ベルギーの富裕な一家のひとりであったルイ・パルメンティエ(Louis-Joseph-Ghislain Parmentier:1782-1847)は、バラを愛でることに富と人生のすべてを捧げた人物でした。
彼が育種した数々の美しい品種については、別の記事で全体像を解説しましたが、ここでは、パルメンティエ育種と伝えられているガリカについてのみ、簡単に触れることにします。
*以下の品種の解説は上記記事と重複しますが、ご了解ください。
パルメンティエが残したバラ
ベルギー王立バラ協会(The Royal Rose Society ;”De Vrienden van de Roos” )のメンバーであるフランソワ・メルトン氏(Mons. François Mertens)は、1990年刊行のアンギャン考古学会報(ANNALES DU CERCLE ARCHEOLOGIQUE D’ENGHIEN, T. XXVI, 1990)の中でルイ・パルメンティエ育種のバラについて詳しく記述しています。
メルトン氏が論拠としたのはアドルフ・オットー(Adolf Otto)による『バラ園またはバラ栽培: “Der Rosengarten oder die Cultur der Rosen”)』で言及されたパルメンティエに関する記述でした。
それによれば、
パルメンティエの圃場では系統だった品番がつけられるなどていねいな品種管理がなされており、3000品種、12,000株のバラが栽培されていた…
そのなかには市場に提供されていない855の品種(うち800種はパルメンティエの庭園にのみ植栽されている)、255種は未命名のままであった…
とされています。
これはにわかには信じられないコレクションです。1815年ころ、ナポレオン前皇妃ジョゼフィーヌが贅を尽くして収集した世に名高い”ジョゼフィーヌのバラ”は品種数250種ほどだったと考えられています。
30年が経過した後だとはいえ、3,000という品種数がいかに驚異的なものであったか想像できると思います。
このように、ルイ・パルメンティエは偉大なバラ育種家だったと思われます。なぜ「思われる」かには理由があります。
上述したように、パルメンティエが育種したと伝えられる800に及ぶオリジナル品種は、そうした伝承があるだけで実際には1847年の彼の死去後、競売に付され一部を除きほとんど散逸してしまったからです。
パルメンティエの消えた新品種
以下のリストはパルメンティエが死去後のバラ競売リストの一部です。右上部におそらくアルバの最高傑作である”0268 Félicité Parmentier”があります。

パルメンティエが精魂をこめた新品種は競売を経てフランスなどで当時活動していたバラ農場主の所有となり、その後、多くの品種はそれぞれの農場において新たな名前を付され市場へ出回るようになりました。
そのため、パルメンティエ作出品種の多くは別育種家により育種されたものとして記録されることとなってしまい、彼の作出とされるる800種のうち彼の育種品種として特定可能なものはわずかになってしまいました。そして、特定されたものも、いったい何年に育種されたのかはっきりせず、単に”1847年以前”と記載されるにとどまっています。
パルメンティエ育種のガリカ
先にあげた『1990年アンギャン考古学会報』には106品種がルイ・パルメンティエ作出として確認できる品種だと記載されています。
この記事では、パルメンティエにより育種されたことが明らかであるガリカのうち、人気があり比較的出回っている品種をリストアップしました。
ダゲッソー(D’Aguesseau)- 1836年以前
1836年、J.P. ヴィベールにより公表されたので、彼の育種とされることが多いのですが、上記のルイ・パルメンティエの圃場に保管されていた品種リストに記載されていることから、パルメンティエ圃場からヴィベールの手に渡ったのではないかと推察されています。(Francois Joyaux, “La Rose de France”)。
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品種名の由来など
代々フランス宮廷の法務官を務めた家系に生まれたアンリ・フランソワ・ダゲッソー(Henri François d’Aguesseau:1668- 1751)にちなんで命名されというのが、通説です。
イポリート(Hippolyte)- 1847年以前
1847年に発行された『故ルイ・パルマンティエ氏が収集した貴重なバラコレクションのカタログ(Catalogue de la riche Collection de Rosiers, formée par feu M. Louis Parmentier)』にリストアップされているので、育種者はパルメンティエであることが明らかです。
しばしば、もっとも完成されたガリカであると記述される、美しく、また、耐寒性、耐病性をそなえた品種です。
ただ、全体としては、ガリカの特徴を示していますが、樹形が比較的大きいこと、また、ケンティフォリアのように花弁が密集した花形になる等、典型的なガリカとは言えない特徴も備えており、交配には他のクラスに属する品種が使われたのではないかと言われています。
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品種名の由来など

イポリートは、現在でも使われている女性名ですので、この品種が特定の人物に捧げられたものと考えることも可能ですが、おそらくギリシャ神話に登場する女戦士アマゾンの女王イポリートにちなんで命名されたものだろうと考えられています。
神話にはいろいろ変説もあるようですが、ヘラクレスが罪業をそそぐために進めていた12の功業の9番目がイポリートが持つ腰帯を受け取ることでした。イッポリートはすすんで腰帯をヘラクレスへ渡そうとしましたが、彼を憎む女神ヘーラーの姦策により争いとなり、ヘラクレスはイポリートを殺して、腰帯を奪い取る結果となってしまいました。
トリコロール・ド・フランドル(Tricolore de Flandre)- 1846年以前
1846年、ベルギーの園芸家ヴァン・ホウテによる園芸誌『ヨーロッパの温室/庭植え草花(Flore des serres et des jardins de l’Europe)』で紹介されたのが初出でした。
そのため長くヴァン・ホウテ作出のバラとされてきましたが、ヴァン・ホウテ自身は自ら育種を行うことはなかったことから、現在ではルイ・パルメンティエ作出の品種とされています。
花色に変化が出ることが多く、特に温暖な気候のもとでは色濃くなることが多いようです。J.P. ヴィベールは全体ににぶいパープルになると解説しています。
トリコロール・ド・フランドルとは「フランドル(ベルギー北部)の色変わりバラ」といった意味です。
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ベル・イジス(Belle Isis)- 1846年以前
1847年に発行された『故ルイ・パルマンティエ氏が収集した貴重なバラコレクションのカタログ(Catalogue de la riche Collection de Rosiers, formée par feu M. Louis Parmentier)』にリストアップされているので、育種者はパルメンティエであることが明らかです。
最も美しいピンクのガリカ、というよりも最も美しく、それゆえ最も愛されているオールドローズのひとつと断言してもよいと思っています。
また、特徴的な香り”ミルラ香”がイングリッシュ・ローズ(ER)に伝えられ、今日多くのERの香りの元となったことでも知られています。
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品種名の由来など
交配親の詳細を調べることは困難ですが、澄んだ淡いピンクの花色、ミルラ香と呼ばれるバラとしては例外的な香り、株肌に生じる多くのトゲなどは典型的なガリカの特徴とは異なるものです。そのためバラ研究家から次のような疑問が出されることとなっています。
- 「ケンティフォリアの影響があるではないか」…”Graham Stuart Thomas Rose Book”
- 「エアシャー・スプレンデンス(ミルラ香バラ)が交配に使われたのではないか」…”David Austin English Roses”
- 「ガリカとしては例外的なほど明るい色合いの葉」…”The Ultimate Rose Book”

イジスはエジプト神話に登場する女神です。
よき妻、よき母として、また豊壌を象徴していることから、エジプトからギリシャ、ローマへ伝えられ信仰の対象となりました。
イングリッシュ・ローズの交配親
ベル・イジスは”最も美しい”オールドローズのひとつだとしましたが、そればかりではなく、デービット・オースチンによって華々しく展開されることになったイングリッシュ・ローズの最初の品種であるコンスタンス・スプライ(Constans Spry)の交配親としても知られています。
カーディナル・ド・リシュリュー(Cardinal de Richelieu)- 1846年以前
従来はオランダのヴァン・シアンがフランスの育種家J. ラッフェイの元へ持ち込み、ラッフェイにより市場へ出されるようになったと解説されていましたが、ジョワイヨ教授は著作『ラ・ロズ・ド・フランス(La Rose de France)』の中で、ヴァン・シアン(Van Sian:”青”)という氏名の不自然さなどを指摘、実際にはルイ・パルメンティエにより作出されたのだろうと推論しました。現在ではこの推論が多くの研究家の賛意を得ています。
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品種名の由来など

17世紀、フランス王ルイ13世のもとで宰相(在職:1624-1642)として辣腕をふるったリシュリュー枢機卿(1585-1642)にちなんで命名されました。
リシュリュー卿はフランス王権の拡大にほとんど唯一の価値を置いて、それを阻害するすべてを除去しようとした人物です。
ルイ13世の母で摂政であったマリー・ド・ミディシスに認められて政治に携わるようになり、1622年に枢機卿、1624年に宰相と栄達の道を究めました。
王権の拡大のためには、恩のある王太后マリーの失脚も画策し、国内ではプロテスタントを迫害しながら、オーストリーやスペインといったカソリックを国教とする国とも対決し、三十年戦争(1618-1648)では、オーストリー=ハプスブルグ家に対向するため、プロテスタント側に組するなど権謀術策の限りを尽くしました。
政敵も多く、失脚を狙う陰謀も何度か企てられましたが、その都度事前に察知して首謀者を処刑して難を逃れました。時代の流れを読んで権謀術策渦巻く政治世界をたくみに泳ぎきった政治家だったのでしょう。
アレクサンドラ・デュマ父による壮大な歴史小説『三銃士』に老獪な政治家として登場します。
ロズ・ド・スヘルフハウト(Rose de Schelfhout)- 1846年以前
1847年に発行された『故ルイ・パルマンティエ氏が収集した貴重なバラコレクションのカタログ(Catalogue de la riche Collection de Rosiers, formée par feu M. Louis Parmentier)』にリストアップされているので、育種者はパルメンティエであることが明らかです。
花形、花色や明るい葉色など同じパルメンティエにより育種されたベル・イジスとよく似ていますが、ベル・イジスのほうが強いミルラ香に恵まれ、樹形もロズ・ド・シュルフトよりも大きめになります。
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品種名の由来など
アンドレアス・スヘルフハウト(Andreas Schelfout:1787-1870)にちなんで命名されたというのが大方の理解です。凛とした美しさは冬季の凍結した運河などを好んで描いたスヘルフハウトに相通じるものがあるようにも感じます。




